続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「21世紀の資本」

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2019年フランス・ニュージーランド合作/原題:Capital in the twenty-first century/監督:ジャスティン・ペンバートン/103分/2020年3月20日〜日本公開

 

トマ・ピケティのベストセラー経済書21世紀の資本」の内容を、著者本人も含めた専門家によって解説・映像化した作品。

本はきっと挫折するだろうから映画で学ぼう、という気持ちで見たものの、無理もないことなのだろうけれどかなーり詰め込んだ内容。なるたけ分かり易く見せようという製作側の努力は感じるものの単調さは否めず、途中ちょっとぼーっとして寝落ちしてしまった。

 

しかし、6年前に上梓されたこの本が世界に与えた影響の大きさはかなりのものというか、ここで語られている考えの多くは現代の経済学の常識としてすでに根付いているといえると思う。ずぶの素人の私でも、全く知らなかったことだ、という考えはあまりなかったので。

 

昔の歴史映像を多用しながら、長いスパンで時代ごとの貧富の構造が語られることによって、広い視野から今起こっていることが人間は性懲りもなく繰り返しているものごとの一環なのだということが実感できたと思う。

 

一見複雑そうに、賢そうに見えて、その実「お金」「権力」という鼻先にぶら下げられたニンジンを追っかけてるだけ。いかに人間が浅ましくて馬鹿っぽいことに命をかけて夢中になってしまうものなのか。

 

また、「モノポリー」の実験が面白く示していたが、現実世界も元々資本を持っている人に持たざる人はけしてかなわないアンフェアなモノポリーのルールを採用している。

親や環境からもたらされた資本がなければ、働いても働いても、けして豊かにはなれない経済のカラクリが分かり易く示されている。

 

モノポリーの実験で興味深かったのは「ゲーム前のコイントスによって、たまたま資本を持っている設定でゲームをはじめた人」は、ゲームに(当然)勝利した理由を、ゲーム開始時に授けられたアドバンテージであることを、なぜかけして認めないということだった。

自分の努力や賢さや能力によって自分が勝てたと思い込む。だからこれは正当な権利だ、と彼らは皆主張する。

また、ゲーム上で「金持ち役」になった人の言動を観察すると、「声が大きくなる」「相手を小馬鹿にする」「ゲーム盤の駒を音を立てて移動する」というような不遜で横柄な態度に軒並み誰もが変化する傾向が分かった。

ゲームなのに、と笑いを誘うシーンなのだけど、これって無意識だからこそ根深く怖いことだなと思って見ていた。人はお金持ちになると避け難く傲慢になり、人を見下す心が生まれてしまうものなのか、と思って。

だったら自分のような小物は、金持ちになるとろくな人間にならなそうだから「ああ、もうちょっとお金があったらなあ!」くらいのところで一生やりくりするのが身の程に合って幸せだな・・と感じてしまった。

また、このような「金持ちの心理」においては、富める者が自主的に富を貧者に再分配するなんてことは、およそ期待できないだろうということも分かる。

 

 

この映画の内容を自分なりに総括すると、

18世紀の欧州貴族制における「1%の金持ちがほぼ全部を独占する」という貧富格差と同じ状況に、今世界は急速に戻りつつある。

全てを破壊した2つの世界大戦とその戦後である1930年代〜1980年代だけは、例外的に貧富の差が少ない時代だったけれども、現代はグローバル大企業や権力者がかつての貴族のように身内に全て相続させる形で受け継ぐことと、かつての奴隷制のように無資本の人々の労働力を搾取することで、富をより増やす。

彼らは「タックスへイヴン」を悪用して自らは税逃れをしつつ、なおかつ公共の資産や税金を私物化するというビジネスモデルで富をさらに一極集中させる。貧富の差はまだ加速しつづけている。

我々の世代の先進国の3分の2の人々は、真面目に働いても確実に自分の親よりも貧しくなる。

 

実際にそうだと認めざるを得ない現実をクールに並べられると、本当に暗澹とするし、怒りも感じる。

結局18世紀に戻るしかないのか?

しかし、18世紀とは全く違う大きな権利を私たちは手にしていると気づく。

それは、民主主義国の普通選挙のシステムだ。

 

人間ていうのは今も昔も「その程度のもん」であるので、人間力で中庸を維持することはどうやらできなそうだ。

 

立場の強い持てる側は、自己正当化して増長し、どこまでも独占せずにはいられない。やがて忍耐の限界を超えて虐げられた側の怒りが爆発して暴動や破壊がおこる。たくさんの血が流れ、多くのものが失われる。その再建の過程で束の間の平等が実現されるが、やがてまた独り占めしようとする者が現れる。そして金持ちになった者は、自己正当化して増長し・・・以下繰り返し。

 

その愚かしい人間サイクルにブレーキをかけられるのが「政治」なのだとピケティをはじめとした政治経済の専門家たちは言っている。

端的には富有層への累進課税と富の再分配。

 

すでに大企業の豊富な資金を駆使したロビー運動によって政治は好き放題に支配されているように見える。

日本でもあからさまに1%をより富ませ、99%をより貧させる方向に政治が動かされている。

 

しかし、数の上で富裕層は1%、それ以外の人々は99%。

一人ひとりの力は小さいようでも、実は選挙は問答無用の大きな力を持つ。

現状捨てられている票を持つ一人ひとりが「平和で平等な社会」を指向する側に投票しさえすれば、たった一日でこの流れはがらりと変わる。

18世紀には望むべくもなかった大きな権利だ。

もちろん1%は、そんなことを気づかせたくはないから、あらゆる手を使う。

 

今も、メディアコントロールして都知事選のことは全く報じない。煽り運転の報道を熱心に繰り返している。常に99%の中のどこかから「けしからん奴」をつるし上げ、1%には怒りがけして向かないように目を逸らさせる。

教育を操る。社会の一員の成熟のために大事な社会システムや国民の権利や本当の歴史認識を子供たちに教えない。

子供から老人まで、とにかく忙しく最大限まで「総活躍」させる。余裕なんてあるから余計なことを考えるのだ、といわんばかりに皆忙しく、疲れ切って社会のことなど考える暇などない。

他にも、効果があればなんでもやるんだろう。

 

権力は、なんとか選挙という圧倒的にフェアなすごいシステムを軽視させ、形骸化させることによって、自ら権利を放棄させようとしている。

それが、18世紀のような貴族制がいい、自分さえ勝ち抜ければいいと思っている現代の1%の人々の作戦。

 

選挙は、革命や戦争のように血を流したり全てを壊さなくとも、誰もが平等な1票でもって、束になることで一夜にして世界の様相を非暴力で変えることができる。

普通選挙って本当にすごい力を持つシステムなのだ。

 

経済の現状を変えるために一番重要な要素は政治であること、そのために一人ひとりが選挙を重要視する必要があることを改めて心に刻む。

 

 

今週末の東京都知事選の投票率に注目している。

当日指定の投票所に行くのがハードルという場合は、期日前投票が便利。複数の場所で投票できるので。

ただ、期日前投票については、前回選挙の際に複数発覚した期日前投票の不正もあるので不信もあり、自分は今後は期日前投票は自前のボールペンで記入しようと思っている。