続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

映画は魔物

今日はフリースクール帰りのおっちんを拾って、だんなさんと3人、軽くランチをしてから、午後からシネコンで映画を見ようと思う。映画館、本当に久しぶり。

グレタ・ガーウィグの「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」、楽しみだな。

 

映画の世界もだんだんと日常モードになっていくのかなという矢先、昨日のニュースに驚く。渋谷を中心に展開する「アップリンク」の元従業員が浅井代表をパワハラで提訴したニュース。

以前、だんなさんからその人となりを聞いていた。「本人のエネルギッシュさとうらはらに、とにかく周囲にいる若いスタッフたちの目が死んでいるのがすごい違和感だった」と言っていたなあ。

だからやっぱりかーとも思ったけれど、告発した方々の文章をサイトで読んで、予想以上にひどいものだったんだなとため息しか出なかった。

パワハラという言葉が軽く感じる。映画に思いを持った若い世代の人生を、何人、何十人と踏みにじって。ありえない。

 

芸術性の高い作品や、社会問題、弱者やマイノリティーの存在を取り上げた意識の高い作品を多く上映してきたミニシアターだったが、それらの映画と本人のありようがどうしてそんなにも乖離してくるんだろうか?

結局、映画から人は何一つ学べないのか、ということを自ら体現してしまっているという意味でも何重にも罪深い。

 

アップリンクは京都進出した矢先にコロナに巻き込まれる形になって、代表はメディアでも悲痛な訴えをしていたので、気の毒だなあ、持ちこたえられるといいなあと思っていた。

それで、コロナ禍からようやく抜けるか、というこのタイミングで、身から出た錆でジ・エンドか。経営者の人間性と商売は別という考え方で成立する企業ももちろん多くあるけれど、アップリンクの場合は多分難しいと思う。

映画館としての意義や理念をアピールし、そこに共感して集ってくるお客さん、ファンが映画館を守って盛り立てて行くというビジネスモデルの映画館だったから、少なくない人たちの心が離れてしまうことが、きっと致命的になってくると思う。

 

 

映画って、魔物だ。制作、配給、宣伝、映画祭、付随するあらゆるビジネスに至るまで、本当におかしなことがいろいろまかり通っている、すごく奇妙な世界だ。

ハイリスクハイリターンでお金が動くヤクザな世界だし、大人の文化祭みたいな向きもある。撮影所システムが崩壊してからは、大半のスタッフがフリーランスで、口約束で契約して保障もなくこきつかわれる、ブラック労働の先駆的な業界でもある。

 

また、偏見かもしれないけれど、映画の仕事に関わっている人はクセのある人が多い。

自分がインタビューやだんなさん経由でこれまでに出会った映画関係者でも、「すごく変人だからこの業界でしか難しかったろうな」とか「こんなうさんくさい人、ふわふわした大人がよくもまあ」とかびっくりさせられるような特徴的な人を何人も思い浮かべることができる。 

もっとも、技術スタッフには実直でプロ意識の高い人も多い印象だけれど、それも高すぎるプロ意識と「好きな映画に関われているんでしょ」というやりがい搾取が、超ブラック環境を助長してしまっているという意味ではかなり問題があると思うし、いまだに助手を殴ったり蹴ったりする人の話も聞く。

いずれにしてもアウトの振れ幅が結構なことになりがちなのは、映画のもつ何かが人を狂わせてしまうんだろうか、と怖く思う。

 

折しも、今回のコロナ禍で、SNSで業界に問題意識を持つ映画制作スタッフのコミュニティーが立ち上がり、有意義な議論が交わされているという話をだんなさんづてで聞いていて、いいことだね、これを機にどんどん進むといいね、と話していたところだった。

今回のニュースは、皆が「声をあげていいんだ」という意識にスライドしてきたということだから、それも含めて良い傾向なんだと思う。

 

映画業界に限らず、あらゆる強い立場から弱い立場へのハラスメントや差別は「自分が悪い、自分が至らないからだ」と、被害者が自分を責めるように仕向けられている構造がセットになっている。

その呪いが解け始めているのを感じる。とても良いことだと思う。

 

アップリンクの一件に関しては、「映画」という要素に加え、「社会的に良いこと、志の高いこと」に関わる人に多く見られがちなある種の傾向も影響していると思っている。それは長くなるのでまた別の機会に。