続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「彼らが本気で編むときは、」

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2017年/監督:荻上直子/127分

 

最近、映像を見ていて反射的に涙ぐんでしまったものがいくつかある。

 

ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相が夜、自宅で子供を寝かしつけてからルームウェア姿で笑顔で国民に現状の説明と協調への感謝を語りかけていた動画とか、

 

韓国の防疫専門家に子供が「どうしたらあなたのような仕事をする人間になれますか?」と質問している言葉に大人がはにかみながら「そう思ってもらえて嬉しい」と答えていたニュース映像とか、

 

そして、この映画のお母さんと少年時代のリンコさんの会話とか。

 

 

普段見る世の中のニュースや映像では、見るとぎゅっと体が硬くなるような、ぎょうぎょうしかったり厳しかったり、眉つり上げて責めたてているようなものや、嘲笑的だったり論争的だったりするようなものは溢れ返っている。反対に「優しいなあ、人としてこうありたいなあ」と思うものにはそれほどは出会えない。

 

あけすけで雑な言葉たちの「悪気はないんだからいいよね、だいいちほんとうのことだもの」という開き直りの暴力性を怖く感じる。

 

だから、出し抜けに優しくて賢くて美しいものに出合った時には、しみじみと嬉しく、同時に「どうして皆がこうであれないんだろ」という悔しくせつない思いで、涙がじわーと出る。

 

それらは、清くてすごくて立派で自信に満ちたものではなく、遠慮がちで押し出しの強くない、気取らないフラットな態度だ。

それぞれにとっての「普通」をそのまま温かく認める、相手の気持ちに寄り添った思いやりを感じた時にぐっと胸が詰まるかんじがする。

 

この映画の中で中学生時代のトランスジェンダーのリンちゃんが、柔道の授業が嫌で嫌で、組み合いで道着の胸をはだけられて泣いてしまって皆に笑われ、授業をボイコットして教師に怒鳴られ、自室のベッドの上で膝を抱えて一人静かにべそをかいている。

リンちゃんのお母さんはやさしく肩を撫でながら「そうよねー、やーよねえー。だって、おんなのこだもんねえー」と言う。

 

それでリンちゃんは、「私ね、おっぱいがほしいの」と母に打ち明ける。

そうすると、お母さんはすぐに素敵なレースのデザインの小さなブラを買って来てくれて、小さな手編みの毛糸で作ったかわいい乳房をその中に入れてくれる。

きゃぴきゃぴしながらブラの試着をする母子を見て、その優しく無理のないさまに涙が出た。良いシーンだったなあ。

 

 

ずっと新作を撮っていなかった荻上監督がその間アメリカに移住し、出産していたことを知らなかった。

2004年に「バーバー吉野」を見てへー面白いと思い、ブームになった「かもめ食堂」があってうわーいいなと思って、でも、その後の作品は私には少々しゃらくさかったというか。

ウェス・アンダーソンもそんなに得意ではないし、お洒落な雑貨みたいな映画にはもうひとつ魅かれない方だ。

 

けれど、今作はとても好きだった。

ネグレクトの母に置いてけぼりにされた11歳のトモと、その叔父さんであるマキオと、恋人であるトランスジェンダーのリンコさんとの共同生活を描いた物語。

 

日本の作品では、まだまだゲイやトランスジェンダーは、いわゆる「イロモノ」として殊更クセの強いキャラクターとして描かれ、過剰な仕草やファッション、オネエ言葉といった「小道具」を与えられがち。

 

まだまだ意識が遅れていて悪気はないのかもしれないが、LGBTQに対して一般の生活者とは全然違う、こうしたステレオタイプな描かれ方ばかりが目立つことは、むしろ偏見やからかいを助長するように感じていた。

 

けれど本作のリンコさんは、介護施設で働き、地道に暮らす一般人。普通に乙女チックな服装が好きな、家庭的で心優しい女性だ。話し方も物静かな女性そのもの。

ただ心と体を取り違えて生まれてしまっただけだということが、とてもすんなりと心に入ってくるように描かれている。

 

リンコさんがトランスジェンダーであることは、もちろん彼らが家族として生活していくにあたって様々な影響を及ぼさずにはいられない、色々な不便や理不尽の要因になってしまうことではある。

けれど、本質的には人間性の問題であるし、むしろ彼女がトランスジェンダーだから「こそ」良かったと思える部分が、物語が進むに従ってすごく実感されてくるのだ。

 

多くの人においては、ごく普通に男、あるいは女に生まれ、そのことに疑問を抱く事もなく多かれ少なかれ「そういうもんだ」という社会の規範に沿って大人になっていく。幾つもの「そういうもんだ」を獲得しながら年を重ねて行く。

その無自覚な鈍感さと傲慢さ。

 

トランスジェンダーにおいては、マジョリティーのような退屈で葛藤のないスムースなプロセスが軒並み奪われることになる。性的少数者にとっては、日々が葛藤と決断の連続で、自分がいかに生きていくかということを思索せずには生きて行けない。

 

それは生きるということに真摯に向き合う本質的な生き方を彼/彼女の属性が要求するのだということを、リンコさんを見ていて改めて気付かされる思いがした。

 

何が自分の人生にとって大切なことで、何は必要なくて、自分はどういう人でありたいのか。

今はコロナ禍において、社会構造の脆弱さやシステムのほころびに接し、人生がいかに他人任せにはできないかということを思い知らされる機会を多くの人が得ていると思う。しかし平常時においては、どれだけの人が「世間」に安易に流されて生きているのか。

 

トランスジェンダーに限らずマイノリティーを生きるということは、人生を哲学することとある意味セットなのだな、だから私はいろんなマイノリティーに心魅かれるのかもしれないな、と思った。

 

 

この物語はトランスジェンダーに対する偏見についてもいろんな気づきをくれる作品だけれど、それ以上に親子の物語である。

子どもにとっての母親とはどういう存在かということをありありと見せ、また一人の大人の子供に対する責任について、すごく愚直に問うている。

 

物語の最後に、トモの母親が唐突に帰って来て、子供を当たり前のように連れ帰ろうとする際、トモの母親がリンコさんを罵倒するシーンがある。

これまでのリンコさんの誠実な生き方や丁寧な暮らしぶり、何よりトモを本当に大事に慈しんで育てて来たさまを見て来た観客からすると、ただたまたま女に生まれ子供を産んだというだけで、ここまでだらしない無責任な女性がどうしてこんなにも無条件に「自分の方が上だし正しい」と思い込めるのかとつくづく呆れる思いを持つが、その傲慢なまでの確信にはひどく既視感もあるのである。

 

私たちの生きる社会には、この種の傲慢な確信が溢れ返っているじゃないかと。自分自身を省みても、そんな傲慢な無邪気さがあるのではないかと、体が冷える思いがした。

 

荻上監督自らの実感がとても優しく率直に投影されている、心根のきれいな映画だった。