続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

日本人の宿痾について

まさに「計画の変更を熟考する事を日本人が嫌うのは何故か?」ということについて書かれたこちらの文章をちょうど昨日読んで、深く考えさせられていたところだった。

このブログでもたびたび紹介する内田先生が、人口減社会について論じた編著書に寄せた序文。

ここで論じられている近代日本人の宿痾についての考察は、今回のコロナ関連のことや、原発や災害のことなど、自分にとって理不尽と感じられる日本社会のあらゆる事象の根本に横たわる通奏低音のようだ。

あまりに身もふたもない内容ゆえ、ちょっといたたまれない気持ちにもなりつつ読んだ。

 

それなりの長文になるので、かいつまんで内容を紹介する。

僕たち日本人は最悪の場合に備えて準備しておくということが嫌いなのです。「嫌い」のなのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。


戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。

 

「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、「リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。「選んだもの」が言い過ぎなら、「自分に許しているもの」です。

(中略)

起こる確率の低い破局的事態については「考えないことにする」。それが本邦の伝統です。

 予想される危機を可能な限りテーブルにあげて、それぞれについて対応策を考えておく、「最悪の事態に備えておく」というのは、近代的知性の常識である。

 

しかし、日本においてはそれは常識ではない。

少子高齢化社会」に対する無策にとどまらないあらゆるジャンルで。

 

例えば原発に限ってでさえ、思い当たることがいくつもあるだろう。

数十年以内に大地震が想定される太平洋沿岸の原発をなぜ再稼働させるのか?

数万年も管理が必要な原発のごみをどうするのか?

北朝鮮のミサイル攻撃に備えると言いながら、日本海側の原発をなぜ再稼働させるのか?

これらについての、合理的な回答を聞いたことがある人はまずいないだろう。

 

この日本的体質は、第二次世界大戦における軍指令部の体質として繰り返し検証されているけれども、内田先生は、この考え方は現在も手つかずのまま残っていると指摘している。

 

戦争中の軍の体質とは、「これも、あれも上手く行ったら大勝利」という最良の事態をプレゼンする立案者が重用される。成功すれば立案者の手柄、失敗すれば現場の兵隊の過失とする。

 

どうして失敗を考えないかというと、「そういう悲観的がふるまいが不幸を引き寄せるから、そういう考え方をしてはいけない」と命じられてきたから。そして、悲観的になると何も対策を思いつかないと日本人は信じているから。

危機を想定し備えることは、悲観することとイコールではないのに。

そして、その反対の「根拠のない楽観」にすがりついて、あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。原発の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、五輪や万博やカジノのような「パンとサーカス」的イベントも、日銀の「異次元緩和」も官製相場も、どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、どれについても関係者たちは一人として「考え得る最悪の事態についてどう対処するか」については一秒も頭を使いません。

 

すべてがうまくゆけば日本経済は再び活性化し、世界中から資本が集まり、株価は高騰し、人口もV字回復・・・というような話を(たぶんそんなことは絶対に起きないと知っていながら)している。

つまり楽観的予測が外れた時に、被害を最小化するような(つまり今回のコロナ対策に通じるような)知性の使い方を日本人はできない、あるいはしようとしない。

 

何も手立てを講じないことには、ちゃんと打算もある。

破局的事態に陥ったときには、社会は大混乱に陥っているから、責任者を糾弾するような余裕はない。「誰の責任か?」なんて野暮なことを言うな。そんなことより、とりあえず生き延びるために全力を尽くせ。

 

破滅すればこうして責任回避できるのだから、その方が安心だし「得」である。破局は自分たちの責任ではなく、避けがたい天変地異にしてしまえばいいんだ。

 

このような根拠に基づき、日本の政治は「悲観的なことは考えない」。

楽観的でいるために、データを改竄し、リスクを低く見積もり、嘘をつき言い逃れをし、誰かに罪をなすりつける。そうして自分だけは地位とお金を確保する。

 

逆に、仮に世の中全体のことを考えて失敗を認め、悲観的な予測を口にしようものなら、人々はヒステリックに責任を問い、謝罪を迫る。

そんなことをすれば余計なタスクを負うことになる。

 

だったら。

だったら「景気は順調に回復しています」「全て適切に処理しています」

と嘘を言い続けて全てを先送りにした方が得ではないか。

それが、今の政治の基本方針になってしまっている。そう内田先生は指摘している。

 

 

そしてひとつの結論として、長年かけて培われて来た「危機に備えてリスクヘッジをしない、リスクヘッジすることを忌避する」という日本人の性質を、込みとして前提として、リスク管理をするしかないと言っている。

ポンコツ車に怒っても仕方ない。車の不具合を分かった上でなんとか運転するしかないよね、と。

 

負け戦において被害を最小に抑えてソフトランディングするために必要なものは、非情緒的で計量的な知性であると。

韓国の外相がインタビューで言っていたとおり「冷静に対応して、証拠と科学に基づき行動する」ということだと思うが、

そもそもこれまでの考察からすると、これらを忌避するのが日本的精神のように思えるので、じゃあその上で何ができるんだろう?と、ちょっと途方に暮れるような気持ちになってしまった。