続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

省みる言葉

しじゅう家にいるおっちんがオケに行って、静かな家の中。

毎日映画館へ行こうとしつこく誘ってくるので、

「ホームスクーリングはどうした?さては・・・、ヒマだな!?」と言うと、きゃいきゃいと逃げていく。まったくもう。

 

朝、お隣さんにゴミ捨ての時に面談が決まったと伝えると、すごく喜んでくれて「こないだもおっちんの笑い声が聞こえて来たから、ああ元気なんだって安心してたのよ」と。

この呑気すぎる実情を知ったら呆れられてしまいそう。

 

明日は雪らしい。

荒天の中、一日創作のクラスへ行く予定。寒すぎないと良いのだけど。

前回、かなりシビアな内容だったので、皆が来れないのではないかと主催の方が心配してリマインドのメールを送って来ていた。

確かになあ。私も泣いたしなあ。雪なら尚のこと億劫だ。

しかし、他では味わえない特別なものがあの場所にはある。ノープランだが、怖いもの見たさで飛び込んで行こうと思う。

 

 

このところ見聞きした印象に残っているもの。

 

「痴呆」という差別的な呼称を「認知症」に変え、早期診断基準「長谷川式スケール」を開発した日本の認知症研究の第一人者長谷川和夫さんが、自ら認知症になった日々を描いたドキュメンタリー「認知症の第一人者が認知症になった」(1/11のNHKスペシャル)。

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さまざまな専門的な立場で障害者と関わる人々との対談を通して、19人の知的障害者を殺害した相模原事件と今の日本社会の本質に迫った書、「この国不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代」(雨宮処凛著)。

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そして、私はウェブで読み進めているが、最近書籍化された「ほんのちょっと当事者」(青山ゆみこ著)。難しく語られるさまざまな社会の問題だが、よく考えてみると自分だって意外にいろんなことの「ちょっと当事者」である。という基本姿勢のもと、自分なりの当事者目線でさまざまなジャンルの問題について語った書。

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それぞれ素晴しい内容だった。

特に雨宮処凛さんの本は一気読みだった。

先日初公判があったばかりの相模原事件は、折りにふれて考えずにはおれない事件。

6人の深い見識を持つ論者(いずれも専門的実践者)たちとの対話を通じて、何がこの事件を引き起こしたのか、本質的な思索が展開されていてとても興味深いし、実践的でためになった。

考え抜いたゆえであろう、この事件に対する事実の総括も非常に分かりやすくて納得性のあるものだった。

この事件にもやもやした思いを抱えている人はぜひ手に取るべき良書と思う。

 

紹介した3作品に共通するのは、対象を当事者として捉え、常に自らを省みる姿勢。

これだけ軽薄で不誠実でフェイクな言葉や情報が溢れ返り、確かなものなどどこにもない先行きの見えない世の中で、「どこか遠くで起こっている私に関わりのないこと」を客観的に正しそうに語る言葉はあまりにも空虚だ。もはや聞く価値なぞ感じない。

分かりやすい罪人を簡単に設定して糾弾して裁いても、何の意味もない。

 

彼らのような、辛さときつさからも逃げず率直に自省する、内なる自分へ問いかける気持ちだけがその言葉にほんものの実感と迫力をもたらす。人の心を動かす。

 

がっつり当事者でなければそのことについて語る資格がないということではなくて、どれだけ自分ごととしてものごとを見ているのか。

 

個人的に、今はとりわけ省みる姿勢のない他人事の言葉にはあんまり値打ちはないと感じる気分が強いみたいだ。