続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

初会合

朝、ゴミ捨て場に袋を出しに行くだけでも、身が縮むほど寒い朝

仕事でせわしなくしているうちに、気がつけば庭の広葉樹もあらかた散ってしまった。

 

というわけで、本日のBGMは「Autumn Leaves」を含むビル・エヴァンズの代表作「ポートレイト・イン・ジャズ」。


Jazz Piano - Bill Evans - Portrait In Jazz Complete [ Full Album ]

 

リバーサイド4部作は、私にとって精神安定剤みたいなもんで、もう20年以上折りにふれて聴いている。

ゆうたが赤ちゃんの頃は、寝かしつけで抱っこをしてるときは、毎日テーマソングみたいに「ワルツ・フォー・デビィ」をかけていたなあ。その親密さも暗さも、わりに適当な録音も含めて隅々まで好きで、いつ聴いてもリラックスできる素敵な音楽。

 

 

昨日で飲食の仕事が一区切りした。会社自体は今月いっぱいだけど、私は昨日が最後。

帰りがけにとっぱらいで給料をいただいて、笑顔でごあいさつ。なんだか面白い日々だったな、と感慨深く思いながら帰途についた。

 

今後については、ちょっとつらつらゆっくりと考えてみるつもり。

私は油断するとすぐに自分を忙しくしたがるところがあるから、方向性を決めるまで何でもかんでも手を出さない、と決めておく必要がある。

 

多忙は怠惰の隠れ蓑。忙しくしていろんなものを先送りにしたり、見ないようにしたりしないようにしなくっちゃ。

ぐっと足を踏ん張って、心を遊ばせる時間と、暮らしを整える時間と、家族と向き合う時間をちゃんと確保していく。逃げないで。

 

しばらくは2足のわらじでのんびりとやっていく。

 

午後からは美容院。前々から気になっていた、感じの良い美容院に思い切って初めて行ってみる。

 

そして夕方からは近所の公民館でおっちんのクラスメート数家族で初の話し合いの場を持つことに。

中一の娘、おっちんのクラスの学級崩壊や先生やクラスメートへの嫌がらせや暴言・暴力が、先生たちの手に余る状況になっていて、ついにおっちんからもSOSが発せられ、どげんかせんといかんと立ち上がった次第。

おっちんとその友だちのKちゃんから、特に被害に遭っている子の名前を挙げてもらって、当事者と思われる皆さんに私から声をかけて集まってもらうことになった。

 

とはいえ、何かプランがある訳ではなくって。自分の子供の話だけを鵜呑みにして動くのはあまりに軽率なので、実際どういうことになっているのかということを、子供たちから聞いてみて、全てはそれからなのかなと。

被害者同盟みたいな話では全然ない。みんなが被害者でもあり加害者でもあるし、一概に断罪できるようなことではないのだから。

 

一番考えるのは、着地点はどこか?ということだ。

クラス全体の雰囲気が最悪なことになっていて、まともな授業ができていない先生もでてきているという状況だから、誰かを簡単に罰しても何も解決しないんだと思う。

 

とはいえ、そもそもを考え出すと、どんどん主語が大きくなり、中学教育は、とか、ひいては集団とゆーものは、とか、さらにひいては現代日本は(!)、みたいなことになりかねず、そうなると「この小さなところであーだこーだ言っても大元の意思が変わらないかぎり何も変わらないし、今は耐えるしかない」みたいなことになりがち。

 

どうしたら建設的で有意義な流れを生めるんだろうなあ。

 

相談した同級生ママSちゃんのアドバイスは、さすがプロママと言いたくなるような抜かりのなさで、感心しきりであった。

巻き髪でふわふわでフレアのミニスカートがよく似合う、甲高い声で可愛く話す彼女は、私の100倍保護者としてしっかりどっしりしている。

 

彼女のアドバイスの要点とはつまり、「何らかのトラブル解決について結果を得ようとする場合、関係者それぞれのプレッシャーとプライドに着目して、そこを踏みにじったりごり押ししたりせず、部外者の誰にも文句を言われない正当で納得性のある形で、段階を踏んでものごとを進めなければならない」ということ。

そういうことをもっと易しい言葉で、高い可愛い声で噛んで含めるように伝えてくれた。

 

もう、ぐうの音も出ないほどにその通りだと思った。

それが大人ってもんだよな。

そして、自分は基本、そういうものから逃げて逃げて逃げまくってひとりで生きて来たんだと認めざるをえない気持ち。

私は一生大人になることはないのかもしれない・・・。

 

そして、そんな私に彼女が最後に言ってくれたのは

「ともあれ私はとてもいいことだと思う。自分に何かあった時に、親は本当に、具体的に動いてくれるんだ、という事実におとちゃんはすごく安心感を持つと思うよ」

という言葉。

 

ありがたさと共に、ひとりの親としてなんだか打ちのめされるような思いだった。

 

こんなにも差があるのかー、と。

彼女は上のお兄ちゃんはもう大学生だけれど、子供のことに長年本気で向き合って、責任を持ってやってきた、お母さんとしての成熟度の違いを思い知らされたような思い。

 

うちはだんなさんが家で仕事をしているし、サラリーマン家庭より相当ヒマな時はヒマだから、私はちょっと込み入った複雑なことや向き合いたくない面倒なことは、すぐだんなさんにパスを回してしまう。自分なんかより賢く理性的なだんなさんが対処したほうが丸く収まるから、その方がいいんだって思ってきた。

 

何より基本自分のことでいっぱいいっぱいの器の小さな人間で、不可避的に子供がしっかり者になっただけのこと。不遜なことに「みんな子供をかまいすぎ」みたいに思っていたとは。我ながら心底情けない。

 

Sさんはだんなさんが激務で、不在がちだったり出張だったり単身赴任だったり、ずっといわゆるワンオペ育児。きっと大部分を自分で考えて解決してきた。長年にわたる母としての責任度と経験値は、私は彼女のきっと足元にも及ばないんだろうなと思った。

 

なんだかんだで10年以上知り合いで昔の彼女も知っている。母親業に注力し、お母さんとしてのキャリアを着々と積んできたことが、彼女の賢さや多方面への配慮の深さや思いやりの言葉にあらわれていることを感じて、深い尊敬の思い。

 

あんまり卑屈になったらいけんとよく注意されるものの、私は一体何を積み重ねて生きて来たのかってふと情けなくなってしまった。たはー。

 

 

今日集まるメンバー、とっても協力的な人もいれば渋々みたいな人もいるし、シングルマザーでダブルワークだから連絡自体がなかなか取れない人もいる。

会う前から人それぞれ違う思いを抱えていそうだなとどきどきしている。

 

ま、なるようになるであろう。かくも自分が未熟な親だということを噛み締めつつ、皆さんの話をよく聴き、子供たちのためにできることをやるだけ。