続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

夫婦の暮らし考

久しぶりにキーボードに向かっている。

今日は整える一日。

夕方から映画館へ行くつもりで、それ以外は何も予定がない。

のんびりと掃除と洗濯をし、食べ物をこしらえるつもり。

 

久しぶりに風邪を引いている。

昨日はなんとか這うようにして仕事にも行ったが、箱のクリネックスを持参した。

仕事がスローで助かった。

 

鼻づまりで夜もあんまり眠れず、頭の芯に靄がかかったみたいにぼーーーっとしているが、悪くない。

しじゅういろんなことをぐるぐると考えすぎて疲れてしまうたちで、ぼーっとするのがとても苦手だからだ。ヨガも「考えないことをするために」やっているくらいで。

 

明日の仕事は休むと連絡もした。今日はいちにち心置きなく具合悪くしていられるので嬉しいなあ。

 

 

先週から週末にかけて、ずっとだんなさん不在で母子家庭だった。

暮らしをきちんきちんとすることを大事にするだんなさんがいなくなると、途端に「まいっかー!」という適当な空気に包まれ、生活がキャンプっぽくなる。

 

遅い時間からゆうたの服を買いに行って、おっちんの髪も切って、たらふくとんかつ定食を食べて、皆ゴキゲンであった。

テーブルの向いに並んで座っている兄妹がじゃれつつてんで好き勝手なことを機嫌良く喋っている。そういう子供たちの話をただ聞きつつ眺めていると、出し抜けに幸せを感じて胸がじーーんじーーんとした。

何も足すものも足りぬものもなく、今に満足している状態。

そういう心境に、なぜか普段はあんまりなれないのだ。余裕がなくって。

 

きちんと暮らすためには、いつも次の何か、明日の何かに追われて課題を抱えることになっているから、私は今の瞬間を味わうことがなかなかできないし、きっといつも小さくいらいらしているんだと思う。

 

私は本当は、場当たり的に生きることが好きなのだ。南の島の暮らしみたいのが。

何でもきちんとしていないと気持ち悪いというタイプでは全然なく、気が向いたときにばーっと片付けて、それでよしという性格。

だんなさんは、身の回りをきちんと整えて「これでよし」とならないと、その先に何もする気にならないし、集中もできない人だ。

 

だんなさんに合わせて暮らしているから、日頃から小さな無理を重ねている。だんなさんも逆方向の無理や妥協をしているだろう。

 

違う人間が共同生活をするのだから、全く同じフィーリングなどありえないわけで、多かれ少なかれ皆そうやって相手に合わせながら小さな無理を重ねて暮らしているんだと思う。それが嫌なら一人になるしかないものね。

 

先のことは分からないけれど、今の私は一人は無理そうだ。

それで多少のびのびできなくっても、いろんなあったことや感じたことなどを率直に話し合ったり、面白いものや感動したものを教え合ったり、分からないことを訊いたり、笑い合ったり、一緒にご飯を食べたりすることのありがたさには何ものも代え難いと思う。

フィーリングは違っても価値観のことでほぼ不満に思うことはない。「ほぼ」ですが!

それはなんのかんの言っても恵まれたことなんだろうなと思う。

 

しかし正直なところ、当然の前提みたいに「まず何にも優先してだんなさんと子供たちのサポーターであるべし」という足かせについては、しんどいなあと思うことはたびたびある。

「何でも好きにしたらいいよ」と言われるし、きっとだんなさんはほんとにそう思っているのだろう。

けれど、サポーター業務をクリアーしてはじめてやりたいことに手が伸ばせる、それはかっこ付きの自由なわけなんである。

余りあるバイタリティーがなければ、「努力不足でしょせんそこまでの情熱はない」の烙印が押されてしまう。

 

とはいえ、家族サポーター業務にはやりがいというか、もはや生き甲斐に近いものがあるので、嫌なわけでは全然ない。

この年になって自分のためだけに生きるのはもう無理だなと思うし、自分のような欠点だらけの人間にとっては、この修行なくしては人としての成熟もないように思える。

 

ただ、「女であってお母さんであって妻だから、苦もなくナチュラルにできている」ことでは全然なく、結構努力して頑張ってやっていることである!ということを、奴らが分かっていないというのが気に入らないだけである。

 

いずれにしても、子供たちとの暮らしはあと数年。

 

ゆうたは非常に自由でしたいようにしかできない人だから、今しょっちゅう共同生活の壁にぶつかっている。時期が来れば居心地のよい場所を求めてささーっと出て行くんだろう。

その兄の姿を見て、おっちんもそそくさと出て行くに違いない。今もすでに「外国行きたい」が口ぐせだもの。

 

そうなったら、その後は夫婦ふたりで静かにきちんきちんと暮らす地味な暮らしをするんだろう。

それで、きっと時々ガス抜きみたいに友だちと外国へ行ったりするんだろう。

 

本質的には自分らしくない生き方ってことになるのかもしれないが、自分が選び取ったことであり、自分らしいことだけが幸せとも限らないだろう。

てか、自分らしさとかって、しゃらくせーよな。