続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

台風一過

台風一過。

関西への帰省は交通機関の運休により、だめになった。だんなさんも愛媛の離島で撮影の予定だったけれど、キャンセル。

 

台風前日、心配性のだんなさんは山のような買出しをして、車のガソリンを満タンにして、暗くなってから帰って来た。

水、炭酸水、米、カップラーメン、カセットガスボンベ、お菓子、携帯の充電器などなどが部屋の隅に積み上げられた。

私はといえば、買い物にしばらく出ないで良いように生鮮食品を張り切って買い溜めしていて、それは停電も断水も想定してない甘い読みだったのだなあと反省。

冷蔵庫が止まっちゃったら、全部腐ってしまうものばっかり一所懸命買っていた。

 

結局、大量の食材消費と、停電してもあっためて食べられるものをと思って、ベジタブルブロスとビーフシチューとコールスローを大量に作った。

 

我が家には雨戸というものがないから1Fの大きなの窓におとといのうちに段ボールを目貼りをしたため、昨日は光の入らない暗い室内で一日報道を見聞きしながら家族4人、あてどなく過ごすことになった。

 

市内に相模川が流れているので、報道ではしょっちゅう茅ヶ崎の映像が出て来た。我が家は川から近くないので浸水の心配はなかったものの、友だちで川の真裏に住んでいるひと、相模湾のすぐ近くに住んでいるひとがいて、大丈夫かと連絡取りつつ。

 

何度も全員の携帯が特別警報だの避難指示だので大きな音が一斉にわんわんと鳴って、そのたびにびくっとさせられた。

近くの小学校の体育館が避難場所だと聞いて、絶対に行きたくないと思った。

あんな蛍光灯に明るく照らされた寒々しい板の間で、仕切りもなくブルーシートの上に直で座って大勢でひしめき合って過ごすなんて。災害報道のたびによく見るあの雑魚寝の風景は、さぞストレスフルなことだろうと我が身に迫ってみて改めて思う。

 

暗い部屋の中で家屋が浸水して海みたいになっている映像を見ながらカップラーメンを食べていると、「何だかポニョを思い出すね」とおっちん。

崖の上のポニョ」では、家々は台風で水に浸かってしまったけれど、澄んだ水の中を魚がすいすい泳いでいて、皆船に乗って大漁旗を掲げて、やいやいと陽気な祭りのようだった。

 

「ポニョ」の洪水のシーンを見ていると、こんな世の中一度全部海の下に沈んでしまえ、全部洗い流されてリセットしてしまえ、という宮崎さんのある種の破壊的衝動がひしひしと感じられる。いっそせいせいするよ、と言いたげな。その感覚は正直言ってよく分かる。

けれど、現実はひどい泥水でごみやらなんやらがぷかぷかと浮いていて、人々は泥だらけで助けを求めていて、途方に暮れるような有様だ。

千葉ではどしゃぶりの中、竜巻で家がぐちゃぐちゃになっている映像も見て、本当に気の毒だった。

 

台風の進路のちょっとしたさじ加減で、自分たちがこうなっていたかもしれないのだ。現実はどんなことでも起こりうる。いざそうなった時にはどんなことがあっても自分たちでなんとかひとつひとつ片付けていくしかない。

生活は一日も途切れることなく、じりじりと続いていく。

 

 

一夜明けて結局、我が家は停電も断水もなかったし、庭の木も15号の時の方がたくさん折れて大変だったくらいだった。朝、両隣の家の方々と無事を喜び合う。

 

窓に目貼りした段ボールを撤去し、ウッドデッキのタープを元に戻したら、眩しい光と清涼な風が家の中に入り込んで来た。

爽やかな風に吹かれながら、洗濯物を干したら、やっと日常が戻って来たという感覚になった。

 

 

相模川はぎりぎり氾濫しなかった。城山ダムの緊急放流をぎりぎりまで粘ったことも効を奏したのかもしれない。事前の情報では、台風直撃の前の17時に放流と報道があって、これは大変なことだと思っていたけれど。

ダムの現場では前日から徹夜で緊急放流をしないで済むように作業が続けられていたと後で報道で読んだ。

 

電車をはじめとした首都圏機能も今朝から軒並み回復していてどんどん通常運転になっており、あまりの早さに驚く。

自衛隊や消防の救助も進んでおり、プロフェッショナルの人々の素晴らしい仕事ぶりにはほんとうに頭が下がる。名も無いアンサングヒーローたち。

 

それに対して、首相や関係閣僚からほとんど何のメッセージもなく、陣頭指揮を執るそぶりも見せなかったな。東日本大震災の時は、作業服の枝野さん出ずっぱりで、いつ寝てるのかと思うほどだったけれど。

10/12の首相動静によると、一日公邸にいたとあった。

 

彼らのリーダーシップにはそもそも期待をしていないし(むしろ変にしゃしゃり出て来たほうが害がありそう)、彼らなくとも全国の公共・民間のプロフェッショナルたちがこれほど機能しているということで、それはそれで良いと思うほどだが、

少なくとも「災害時のために権力を集中する必要がある」という理由で憲法の緊急事態条項を変える必要は全くないということは証明されたよな、とは思う。

災害のために全権掌握する必要があるなんて都合の良い口実に過ぎないのだとこれほど分かりやすく身をもって示してるものもないよなあ〜と思うくらいであった。

 

何かを言うと唇寒しな世の中だけれど、これだけ災害の多い国にあって、普通に「人の命を大事に思い、困っている人に手を差し伸べて出来るだけのことをしようと思っている」人が政治家でないというのは、ほんとうに危険なことなんじゃないの?とは声を大にして言いたい。

 

 

「しっかりとー」とか「迅速かつ適切」とか口では何とでも言う。

実際に何をしたのかだけを見ればみれば分かること。