続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

需要と供給

週の前半、ゆうたの学校だの、締め切りだの、仕事だのでばたばたとしていて、今日はようやくほっと一息ついている。

今日は整える一日。

 

特に意識もせず、流れに任せて好きなようにしてきただけなのだが、改めて考えてみると、これまでオフィスワーク、ブレインワーク系の仕事をずっとメインでやってきていたのが、新しく始めた2つの仕事はとにかく体を動かす系の仕事。こういう仕事に従事するのは相当久しぶりのことだと、働き始めて気が付く。

 

現在40代半ばの私が大学生の頃は、バブルからバブルがはじけて就職氷河期に突入する過程の時期。オウム事件阪神淡路大震災もあった。当時神戸在住でもろ被災したので、インパクトは大きかった。

 

高校1年生の頃から受験期以外は常にバイトをやってきた。高校生の頃は、近所のガソリンスタンドやコンビニ。

大学生の頃、メインでやっていたアルバイトは塾講師だったけど、その他にもかけもちでいろんなことをやった。

 

で。

なぜそんなことを改めて思うかと言うと、新しいアルバイトがどちらも嫌なことがすごく少なかったからである。

変なことを言うようだけれど。

いわゆるブルーワーク系の仕事で、今のように穏やかな気持ちでやれているアルバイトって、これまでありそうでなかったよなーと。

 

これは私が多少は経験を積み、人間的にも練れてきたからなのか?

と、一瞬うぬぼれかけたけれど、いやいや。

少しはそれもあろうが、大部分はそれが原因じゃないだろう、と感じている。

 

これぞ需要と供給。

20年のブランクを経て、世の中のありようの変化を肌で感じているということなんだな、と。

 

正社員待遇でもなく、ホワイトカラーでもない仕事は業界に依らず、おそらく、どこもかしこも

ほ ん と う に 

人手不足なのだ。

 

2つの仕事、どちらも馴れ合いではなく、ビジネスとしての線引きやけじめはきちんとあるものの、無駄なスパルタ感や、上司部下の押しつけ感などがどちらの職場も本当に希薄で、拍子抜けするほど。

面倒な人や嫌な人は当然いるものだ、と覚悟をして臨んだだけに。

 

アルバイトとしての待遇は待遇なんであるが、働く人に対して普通にリスペクトがある。

働く側の権利の行使を保証されている。きちんとコンセンサスを取ってくれる。

仕事上、普通に言われたことをきちんとまっとうすれば、それで「いやーいてくれて助かる!やりやすいわ、ありがとうね」と笑顔で感謝してくれる。

 

それは、そうしないと、当たり前のように去られるだけというシビアな現実があるからだ。きっとどこも、本当に苦労して人集めをしているのだ。

無駄に威張ったりいじめたりするなんて、えっと、ばかなの?の世界なのだ。

 

 

しかし、辞められない、首根っこを捕まえられた状態で働いているサラリーマン(ウーマン)たちには、この状況は当てはまらない。

「働きかた改革」なんて言って、より過労死リスクが高まるような無茶な働きかたを強いられている例は珍しくもなく。

むしろ昔より状況を悪化させながら「そういうものだ」「もっと努力で効率化できるはず」と刷り込まれ、上がらない給料は自分の能力が足りないからだと言い聞かせてがんばっている人は、大勢いる。

 

だから、個々の人間性や職場の善し悪しというよりは、状況が大きいと思うのだ。

無体なことを要求されるもされないも、結局、働く側が主張出来るか、選べるかにかかっている。 こういう言い方は身もふたもないけれど。

 

また、別のシビアさが炸裂している状況も顕在化していると感じる。

それは、大きな外資系や(IT土方ではないカースト上位の)IT系に勤める人たちの例。

 

知人や身内でここ最近だけでも2人、40代半ばで追い出されるようにして会社を辞めた人を知っている。

いずれも外資系でキャリアを積んだ、役職もついた一般人よりは高給取りの人たちだ。

 

こうした企業は、日々進化するテクノロジーやアイデアに順応できる若い才能が常に欲しい。

生産性の高い能力の高い人間を大胆に高優遇で雇うけれど、もう古い、要らないと判断されたらすぐにでも入れ替えたいという考えがあると思う。

 

一部のトップマネジメント陣を除いては、

「新しいテクノロジーに対応できない、頭が固くプライドは高い高給取りの中間管理職なんてコストだよね」

というのが彼らの隠れた本音なのだ。

 

若い頃は有能さを評価され、誇りも体力も気力も充実していた。イケてる企業で相応の待遇を受け、周囲からも羨まれ。

しかし人間、ずっとフレッシュなイノベーターでなんていられるものではない。

 

気がつけば「あなたお荷物なんですけど?まだ居座りますか?」という空気の中にいた、ということになるのが、この手の企業のありようみたいだ。

かつて能力を買われていた高給取りの人ほど高コストとなり、ターゲットとなる。

高給というのは「それだけの高い能力と貢献度を担保するということと引き換えだ」というのが企業側の言い分ということになるのだろう。

 

サブスクリプションサービスの超大手(外資系)では、昨日いた人がもういなくなっていて、訊くと「ああ、あの人辞めたよ」なんてこと、ざらなんだと言う。

だから今いる人たちも、生き馬の目を抜くような厳しさの中を必死に戦って成果を上げようと躍起になっているのだと言う。

常に有用な人であれ、と自分を叱咤しながら。

結構な地獄だよなあ・・・・。

 

 

 

話が戻るが、今のアルバイト環境、あきらかに昔より雇う側の感謝の閾値が下がっているのだ。謙虚なのだ。普通に誠実にがんばれば、まずはそれでオーケー。

非正規だから当たり前のことなんだけど、出来ることはできるし、出来ないことはできないと言える。それは今だってあろうが、昔はもっと言いにくいことだったと思う。

 

正規非正規関わらず、ひと昔前は無駄に厳しかったり、セクハラパワハラも多かったし、偉そうな人や意地悪な人も「まあどこにでもいるよね」という感覚で受け入れないことにはなかなか働けないということは、特に珍しい感覚ではなかったと思う。

 

「ゆとり、甘えんな」「最近の若者弱すぎ」みたいな言い方もあるが、かといって昔のような横暴や圧を通せば「辞めます」って言われるだけ。

それこそ(嫌いな言葉だけど)マーケットが判断する、っちゅーことでしょう。

 

 

また、学校における体罰がなくなっていったという時代背景もこういう変化に呼応していると思う。

20年前は体罰は当たり前だった。

 

同じことを伝えるのに怒鳴って言う必要はないし、ましては暴力は論外ということが社会の常識として根付いたことは喜ぶべきこと。

やっぱり教育って大事なんだなと思う。

 

 

自分なりのビジョンや考えがあるから、今の状況を楽しんでいるが、あくまで非正規労働であるということは言い添えておく。

これで生計を立てていく、という観点には立てない働きかたであるということ。

 

ともあれ、かつての日本の企業文化の主流だった年功序列が壊れて、極まって、今はこういうことになってるみたいだ、ということを社会の片隅から眺めているという気持ち。

 

さて、私たちはこれからどう生きようか。