続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

脳を休ませる方法

朝起き出すと昨夜の嵐は過ぎ去っていて、でも庭木が折れたり落ち葉が散乱したりしてわー台風が通り過ぎたんだな、という様相。

 

我が家の育ちすぎたユーカリの枝が、お隣さんの敷地に折れて入り込んでいたり、電線にひっかかったりしていたので、朝ご飯後にだんなさんも動員してがしがしと汗だくで作業した。

 

で、こうなった。おつかれさん。

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 暑いし、泥だらけになるし、蚊もいるんだけど、無心に庭仕事をしている時は、心が平らで余計なことは何も考えてなくてすごく気分がいい。

土いじりは、私のコーピングリストのかなり上位に位置している。

 

そういう自覚の元に農業のアルバイトを始めた訳だけれど、今はまだ修行中の身ゆえ、いろいろと気を遣う。

でもひとりで畝作りとかをやっている時は、やっぱり何にも考えないすごく気持ちがいいゾーンに入れて、幸せな気持ちになる。

農作業のことをいろいろ教えてもらえるし、これでお金をいただけるのか・・・ありがたや。

 

肉体よりもむしろ脳を休めることを意識的に考えたい。

一番良いのは瞑想、マインドフルネスとはよく言われているけれど、座禅を組んで瞑想をするような時間を確保することは日常の中ではなかなかできないものだし、やろうと思っても落ち着きのない性格だから、雑念が次々に湧いてきて無になんてなれそうもない。

 

だから、ヨガもそうだし、土いじりもそうだし、自分なりの瞑想状態に入れる手段をいくつか持っておいて、日々のルーティンに組み込んでいくよう工夫していく。

それで最悪の状態になることは随分避けられる気がする。

 

自分を見失うのなんて、ほんとうに簡単だと思う。

日々を忙しさで埋め尽くされてしまうと、あっという間に比較の幸せや閉塞感に囚われてしまう。

落ち着いた構えでいてはじめて「自分が何を感じ、どうしたい、どうありたいと思っているか」は分かる気がする。

自分や他人に優しくあれるか、丁寧さや誠実さも、性格の善し悪しなんかではなくて、大体は日常の落ち着きにかかっているんだと思う。

 

忙しさとは物理的な多忙さだけではなくて、ようは脳がほっこりと休めているかどうか。

小さな赤ちゃんを育てている時、子供はかわいいがどうしてあんなに辛く大変と感じていたんだろう?と思い返すと、かよわい生き物である赤ちゃんを取り巻くさまざまな危険にいつも気を張って、赤ちゃんの絶え間ない要求に絶え間なく答え、トイレに行きたい、眠りたい、休みたい、食べたいといった自分の基本のバイオリズムを一日中裏切り続けていたからなのだなあ〜と思う。

 

とりわけ私みたいに自分のことだけ考えてわがまま放題に生きてきた人はギャップが大きい。保育や介護職をしていた子育て上手の友人は、子供や他人を世話する技術に長けていたというよりは(もちろんそれもあると思うが)、むしろ上手に脳を休ませることが不可欠だとよく分かっていたんだと思う。

 

常に脳内は24時間不眠不休。それが小さい子を育てているお母さんの状態。

しかし、はたから見るとめっちゃだらだらごろごろのんびりして見えるし、基本はずっと家にいるのにどうして半年前に買った雑誌を読む時間と余裕がどうしてもないのか、母親自身でさえ意味が分からないくらいだ。

 

だから私の場合は、自分がすごくポンコツに思えて落ち込んだものだった。

なんて辛抱の足りない、余裕のない、雑で思慮に欠けたお母さんなんだろう、と自分を責めたなあ。

今でも子供が小さい頃の写真や映像を見ると、「こんなに可愛かったのに、可愛いと感じる余裕がなかった自分」に情けなくてトホホホ、と泣けてくる。

あの頃、脳の休息が圧倒的に不足していたのだなあ。

私、かわいそうに。よしよし。

 

これからも地道に自分なりの脳を休ませる方法の研究を進めるとしよう。うむ。