続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

盲信すること、疑うこと

おとといのことになるけれど、今年のウィンブルドンの決勝は名実共にすんごいものだった。

 

共にゾーン状態にある天才同士が、常人には計り知れない天上レベルの研ぎ澄まされたやりとりを繰り広げていた。

人間離れしているとしか言いようがなく、讃えるという域をもはや超えているというかね。

今目の前で見ているものは一体何なんだろう、とぽかーんと口を開けて見入るばかりだった。

 

どこまでも集中力途切れることなく、4時間57分。まじか、どこまで続くのや。

最終的にはジョコが勝ったわけだけれど、フェデラーは当然めちゃくちゃ悔しかったろうけど、もう勝敗はどうでも良いという域にまでいっていたなと思う。

 

渡辺京二先生が言っていた通り「あまりにも突出した才能というのはむしろ奇形なのだ」。

彼らも最大限の努力をしていることに異を唱えるつもりは少しもないけれど、彼らの存在が努力とか精進の先にあるものではないんだということは、良くも悪くも真実だ。

 

プロスポーツの世界は、ある種のサーカスなんだなあとつくづくと思ったことでありました。

 

 

そんなプロスポーツ選手を、あんまりにもヒーロー視する風潮って、以前から馴染めなかった。

語弊を怖れずに言えば、スポーツとは本人がやりたくてやっているある種の遊戯であるのに、時にあまりにも偉人みたいに持ち上げたりするのってどうなんじゃろう?

私は何だか不思議と思っていた。

 

プロリーグを持ち、巨大なマーケットを形成しているメジャー競技とそうでない競技でヒエラルキーがあるということにも大きな矛盾を感じてしまう。

競技自体の値打ちが、サッカーやテニスが一番だってことはないはず。でもどの競技も同等にリスペクトされているとはとても言いがたい。

成功すれば大金持ちになれて、大きな名誉も得られる競技には競技人口も集中する。ゆえに突出した才能もその競技に含まれることになりがちだ。

 

プロスポーツはサーカスだからそれで良いのであるが、だからといって彼らが人間的に優れているということとは全く別物のはずだけれど、往々にしてそこがごっちゃになりがちだ。

 

もちろん私もスポーツを見るのは好きで、いろんな人のファンである。人間的に素敵だなーと思う人もたくさんいる。

 

まあ、マラドーナみたいな反面教師もいるし、そんなこた分かってるし、と言われてしまいそうだけれど、子供のロールモデルというと何かっていうとスポーツ選手ってという発想になりがちよね、とは思う。

 

 

前置きが長くなったが、為末大さんのブログが大変面白かったんであった。

何かをきわめるほどに追究した人だけが持ち得る、発見に満ちた説得力のある文章で、はあ〜ジョコヴィッチもまさにそうなんやろうなあ〜と読みつつうなずいていた。

 

面白いのは、彼の知見がスポーツの分野だけにとどまらず、精神的に不安になったり迷いが生じた人が何かに傾倒し(つまり自分を明け渡し)、盲信してしまう心理について、かなり詳細に整理して論じたものになっているということだった。

 

何かをきわめてトップに近くなった時、努力やロジックを超えた存在に簡単に負かされてしまったり、まじめに最大限の努力をし、正しい行いを積み上げているはずなのに低迷したり結果が出せなくなったりして、もうどうすれば良いのか分からなくなる。

 

「答えのない状態」に耐えられない。

 

どんなジャンルにおいても、「競争人生」においては、どこかでぶち当たる逃れがたいポイントなのだろうと思う。

だって、誰にも万能な絶対に一番になれるような魔法のような研鑽法なんて、どの分野においてもあるわけがないからだ。

 

その「競争人生」というゲームのプレイヤーとして生きていくのが果たして人として幸せかかということについてはまた別の話になるが、とにもかくにもアスリートというのは、ドーピングみたいなことはあるにせよ、基本は清々しいくらいに問答無用の勝ち負けそれが全てだ、の土俵で切磋琢磨しあう存在である。

 

そこでもがき切って、あらゆる試行錯誤を繰り返しながら到達したひとつの知見というものが示されているという点で、とても興味深い文章であると思う。

 

彼は、アスリートとしてのパフォーマンスを最大化するには、競技者としての「迷わず信じてやりきる」姿勢と、研究者としての「独善を疑い、多面的に科学的に論理を構築する」客観性と判断のバランスが重要だと言っている。競技者の姿勢が勝っても、研究者の冷静や執着が勝ってもどちらにも一長一短があるという。

 

そのうえで最後に彼はこのように書いている。

スポーツの現場では短期では狂気は正しさを凌駕する。しかし狂気の人間は自分の姿が見えていない。どこにいるのかどこに向かっているのかもさほどわかっていない。思い込みが強いタイプの選手は変に客観的になるより、コーチ選びに神経を使い、一度選んだら信じ込んで突っ走るというやり方がいいと思う。なれないものになろうとするより、できる人間に外注した方が効率がいい。

為末大ブログ 私のパフォーマンス理論 vol.28 -トレーニングとの距離について-)

 

合理的な人だなあ。外注(笑)

自分が「絶対に!正しい!」と心から信じ込んでいることに裏切られたことがあり、自分の正しさを常に疑う深い思索を得るにいたったことは、相当スポーツをきわめた人ゆえの得難い経験値だと思う。

 

それは素晴らしいことだけど、彼が有名な元トップアスリート「だから」そのような経験値を得られているのではなくって、様々な分野でそれぞれにきわめた人の滋養深い知見というものがあるはずだ、ということはいつも忘れないでいたい。