続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「漂うままに島に着き」「コンビニ人間」「わたしはなにも悪くない」

ゆっくり寝られる久々の日曜日なのに、娘の携帯のアラームで6時に起こされてしまった。

一度目が開いたらそうそう二度寝はできないたちなので、諦めて起きだし、前々からやりたかったレンジフードカバーの交換をする。

 

洗い物をしながら、

塩壷に塩を補充。

麦茶を沸かす。

粉茶も補充。

目についたところを拭き掃除。

 

台所仕事はエンドレスだ。

 

今日はほんとうに久々に、家族四人が家にいる。夕方からのオケの練習もお休み。のんびりBBQでもできないかな、と思ったのだけどあいにくの天気。しとしと降ったり止んだり、ひんやりと肌寒い。

 

遅い朝ご飯が終わって、各自部屋にひきこもった。

さて、今日はこのままだらだらで日が暮れるのか。

 

このところの読書いくつか。

 

f:id:beautifulcrown7:20190609120005p:plain

「漂うままに島に着き」内澤旬子

友だちに勧めてもらったこの本を先日読了。東京砂漠に疲れ果て、知り合いのつてを頼って小豆島に移住した50代単身文筆家の移住記。

彼女の実感を通してさまざまな観点から移住の実際について書かれていて、疑似体験的な感覚で読むことができて、面白かったな。

気負わずあくまで自然体なんだけれど、ワイルドなスピリットを持つ著者。

猟友会に入って銃所持免許を取って、猪だの鹿だの狩って、解体して食べている話などをさらーっと書く。

雑草の手入れが大変だからヤギを飼った話とか。

ついこの間まで都内でマンション暮らしをしていた人が、よくこんな風に順応できるものだと驚くけれど、あくまで軽やかで楽しげなのがいいなと思う。

 

自分の人生で体験したことを書くことが彼女の仕事の主要な部分を占めるようだが、あとがきにちょっとひっかかる言い回しで「事情があってこの気に入った借家を引っ越さねばならなくなった。残念」とあり、なんじゃろうと思っていたら、

 

先月発売された彼女の新刊のタイトルは「ストーカーとの700日戦争」。

彼女が実際に遭った深刻なストーカー被害との戦いの顛末記らしい。

引越しもこの件と深く関わりがあるみたい。

ふうむ、せっかくこんなに素敵でおだやかな生活を苦労して手に入れたのに、こんな形で手放さねばならないのは、さぞつらかったろうな。

 

でもきっと彼女は力強く戦っているはず。こちらの本も近々読みたい。

 

f:id:beautifulcrown7:20190609122347p:plain

コンビニ人間村田沙耶香

普段、ベストセラーは敬遠するほうである。すごい触れ込みで、期待して読んだらがっかりすることがままあるので。

でも図書館の「少し前の話題の本」コーナーにあったこの本、装丁のデザインと本の薄さに魅かれて借りてみたら、存外に面白かった。

 

「普通はそうするよね」「普通はね」

自信を持ってそういうもの言いで話をする人に接するたびに、恐怖心を持って来た人生だった。

人生経験を積んでも〈普通〉が何かがもうひとつよく分かっていないので、相手の反応を見て「ああ、これだめなやつだったか」と一つひとつ確認する学習方法でやってきたが、多分一生劣等生のままである。

 

しかし、そんな自分が全然〈普通〉に思えるほどに変わった感性の人がこの小説の主人公。

 

この人の考える理路が共感できると共に、自分だって自分の思う普通を振りかざして、これまで〈違う〉人々を傷つけてきたんだろうなと胸が痛くなる。

世間やある枠組みの中での常識としての〈普通〉を他人に無邪気に押し付けることの暴力性がひしひしと伝わる作品だった。

 

誰もが、自分に見合った場所で好きなことに打ち込んで好きに生きていく、それでいいではないか。自分が納得していれば。

しかしあらゆる側面でそうはいかないのだということを作品は描く。

 

こうあるべき、何が上で何が下、全部が比較の幸せで、あらゆることがジャッジと格付けの対象になっており、そこから外れた価値観の中で自分なりの充足をしようとしても、周囲の人々のおせっかいは止むことがない。

そういう〈普通〉の人々の持つゲスさにぎくりとさせられた。

 

主人公だけでなく、もう一人白羽さんというしょうもない男が出てくる。この男、頭でっかちで自分がかわいくて、プライドばっかり高くて、自分のことを棚に上げてやたら恩着せがましいのである。

もう救いがたいしょうもなさなんだけれど、でも、この男の中にも自分を見る。いたたたた。

 

この作品の素晴らしいところは、コンビニという場所がとてもすてきな場所に思えてくることだった。著者のコンビニという存在に対する愛情が伝わってくる。

あたかもひとつの完璧に調和した世界のようで、随分と心地良さそうに思えた。

 

私はあのがんがんに照らされる過剰な蛍光灯の下にいると頭痛がしてくるので、とても大手コンビニでは働けないだろうけれど、自分の行きたいと思うようなコンビニってこんなかんじだなあ、こんなお店ならやってみたいなあ、としばし夢想を楽しんだ。

 

f:id:beautifulcrown7:20190609125022p:plain

「わたしはなにも悪くない」小林エリコ著

今読み出しているのがこの本。アル中酒乱の父親の家庭で育ち、学生時代はいじめに遭い、勤めた会社はブラック企業で、若くして過労で精神をおかしくしてしまった著者。
淡々と綴られるこの当事者の手記が今話題になっているらしく、だんなさんから勧められて読んでいる。

 

精神病院の詳細な描写、松尾スズキの「クワイエットルームへようこそ」を思い出すなあ。

 

自分の記憶では「自己責任」という言葉を声高に語った最初の人物は小泉元首相だったと記憶している。2001年頃のことだ。

在職当時、大変な人気者だった彼が、新自由主義の方向に大規模に舵を切り、その流れをどんどん突き詰めて、どんづまりみたいになっている今の状況を見るに、当時の私は何も分かっていない馬鹿者だったなと思う。

 

今では誰もが「自己責任」を言い立てる寒々しい世の中になってしまった。

 

こんな風にならなくて良かった。自分はこちら側には行きっこないから。

読んでそう感じる人もいるかもしれない。

んなわけあるかー。

 

仕事で、死に向かうお年寄りに日々接していて感じたことは、いつか全員が弱者になるという厳然たる事実である。

年月は等しく奪っていく。全員そのうち必ず死ぬ。

 

「自己責任」なんて恐ろしいロジックを振りかざして、自分の取り分を確保したような気持ちになっていられるのは、健康で環境が整った一時期だけのことである。

言ったこともやったことも、全てブーメランのように自分に返ってくるのだ。

 

どんな社会に生きていたいか。

どんなまなざしで他者を見ていたいか。

どのように手を携えてサバイブしていくか。

痛ましい語りをどれだけ自分ごととして考えて行けるかということなんだと思う。

 

 

みんな部屋から出て来ないなあ。

さ、続きを読もう。