続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「哭声 コクソン」

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2016年韓国作品/原題:The Wailing/ナ・ホンジン監督/156分

ホラーやオカルトや、残虐な連続殺人事件を取り扱った作品が結構苦手ゆえ、お仕事でなければ見なかったであろう、この作品。

いやはや、すごい作品だった。たまげた。見られて良かった。

 

他の韓国映画を見ていても感じることだけれど、近年の韓国映画は映画作りのクオリティーが本当に高くエネルギッシュで、さらにジャンルを超えている。使えるものは何でも使って、観客を徹底的にエンターテインするということに問答無用の重きを置いていると感じる。

エネルギーのボルテージの高さだけでなく演出力の高さゆえ、長尺でも一時も気を逸らさぬ疾走感が素晴らしい作品が多いと感じる。

韓国映画においては何はともあれ観客は見ている時間夢中になりたいのだし、作り手も夢中にさせるのだというコンセンサスが成立しているように思える。

 

次いでに言えば、今もって韓国ほど映画とテレビドラマのクオリティーが雲泥の差っていうのもなかなかないよなー、と思う。私が初めて見た韓国映画は2000年に公開された「シュリ」だったけれど、気がつけば20年前だけど(!)、なんてクールなんだ、素晴らしいと思った印象が強く残っている。当時はたしかヨン様ブームだった頃だ。

 

実家の両親が韓流ドラマファンなので、先日の実家帰省の際に仲良くふたりで画面に見入っている姿は微笑ましかったが、自分は韓流ドラマはちょっと見通すのが厳しかったー。諸事情ゆえとはいえ、のけぞるような安っちさは今もって変わらないよう。

しかしうちの両親にしても、その単純明快さがこそいいんだと楽しんでいるのはようく分かる。むしろ映画は見るのしんどかろう。

棲み分けがきっちりしている韓国の映像業界である。

 

 

ナ・ホンジン監督のバイタリティーって、ポール・トーマス・アンダーソンダニー・ボイルデイヴィッド・リンチを掛け合わせたみたいなかんじ。

褒め言葉として「狂ってる!」を捧げたい。

画面の中に時空を歪ませるみたいな濃密なエネルギーがぎゅっと凝縮されて渦巻いていて、怖くてたまらないんだけど目を離せない。そのエネルギーが強力にストーリーをドライブしていく。

 

始まりは薄暮。ちょっとゆるんでいて、しまらない笑いもあったりして。

冒頭の殺人事件の現場の描写はぎょっとするほど作り込まれていていきなりドン引きするわけだけれど、それでも「人間世界」の空気の支配しているさまに、なんとなく安心している。

 

それがころころと坂道を転がり落ちるみたいに次々に恐ろしいことが起こっていき、理由もわけもさっぱり分からないし、どうやら社会システムや法律や医療などの人間の力ではどうにもできない、今どきそんなことってあるのか?

そんな不安な心もとない感覚に襲われてハッと背後を振り返った時には、既に日はとっぷりと暮れ、辺りのものはほとんど判別できないくらいに暗く暗くなっている。

どうしよう、もう帰り道も分からない。そんな手探りの怖さがしんしんと迫ってくる作品だ。

 

そこからの怒濤の展開なー。もうたくさん、ここらでぜひ手を打ってほしい、そんな観る側の気弱な懇願を無慈悲に振り払いながら、物語はどこまでもどこまでも暗くアンタッチャブルなところへと突き進んで行く。

 

この作品では、最初から最後まで「はかりかねる」という迷いの感覚が貫かれている。何が真実か分からない。誰が味方か敵か分からない。何が善で何が悪か分からない。物語が進むに従って、さらに混乱は進む。人物たちは何に依って行動を決定していいのかも分からず、右往左往している。

夢と現実の描写の切り替えも曖昧で、観る者は取り込まれたような、麻痺したような感覚の中で最後まで物語がどこに向かって行くのか見当もつかない。

 

その寄る辺なく、また不気味な映画のトーンに國村隼の存在感がめちゃくちゃはまっている。この俳優の作為のない得体の知れなさはすごいなと思った。

もともとが何らかの考えに固執して、こういうオピニオンを持っていて、自分はこういうタイプの人間で、という自己規定をしないタイプの人なのだろうと思う。

人として知的で謙虚で、それゆえ職業的役者としてかくも有能なのだろう。

 

國村隼という役者さん、何とはなしに苦手ーとうっすら思ってきた人で、それは何しろつかみどころがないから、見ていて不安な気持ちにさせられる人だったからだと思う。その存在感が、過去最高に生かされている!唯一無二!と感じたのが本作。

そしてふんどし一丁で鹿の生肉を喰らうシーンにもおののいたが、こんなお年を召されていながら、驚愕のラストシーンに至るまで、求められればなんでも出来る人なんだ、役者ってすごいなあとても出来ないことだなあと改めて感心した。

祈祷師役のファン・ジョンミンをはじめとした他のキャストも素晴らしかったが、やはり國村さんの存在が作品の不穏さと捉えがたさを担保していたと思う。ナ・ホンジンのキャスティング力に拍手。

 

さらに、美術や特殊メイクの作り込みも非常に見事で、作品のスケールは明らかに日本映画を上回っている。かかるものにはみっちりお金をかけている。安易にCGを多用してごまかしていないゆえ、生身の手触りがあって、尚怖いのだった。

 

こういうのを見ると、実はそんなにお金がないのに、大仰なCGで安易に迫力やスケール感を出そうとしているタイプの日本映画のチャチさがかえって浮き彫りになるなあ。とほほ。

 

最後まで、見る人の価値観や感じ方によって解釈が分かれる、謎を含んだ作品だ。新約聖書をモチーフに、不安に支配された社会の中で思い込みや好奇心や決め付けに翻弄されて人々が右往左往し、誤った正義感に基づいて避けがたく道を踏み外して行く。

そんな弱く不確かな人間存在について、映画は強力に問いかけている。

 

エンターテインメントとしてジャンルにとらわれないルール破り的面白さを持ちながら、テーマは普遍的で深い多層性を持つ。ナ・ホンジンの才能に感謝。