続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ほんとうのことだけが書いてある

優太が特殊メーキャップ/現代アート辻一弘さんの自伝「顔に魅せられた人生」を中学校の図書室で見つけて、朝自習の時に読んでたんだ、と持って帰ってきた。

おお、これ読みたかったやつだよ、と思い、早速借りてぱらぱらとめくって見たら、あまりに面白すぎて1日で読み切ってしまった。

こんなにも「読み止めたくない」吸引力を感じた本は、久しぶり。ぶっつづけで読んだ。

 

今のインターネット世界では、とにかく文章が溢れ返っていて、どれだけでも読もうと思えば際限なく読める。

それだけに、飽きて途中で読みやめてしまう文章もぐっと増えた。

インターネットの世の中になって以降、一冊の本を読破するハードルが明らかにあがった。自分の読み手としての体力がぐーんと落ちていると感じる。

 

そんな中でもするするっと、あるいはぐいぐいっと最後まで読ませてしまう文章というのはあって、その他多くの文章とそれらは一体何が違うのだろう?と思う。

もちろん内容とトピックや書き手への興味が第一なのは前提なのだけど、わくわくする本にはジャンルに限らず必ず抱く感想があって、それは

ここには、作者が身を呈して見せてくれた、ほんとうのことだけが書いてある」

という実感。

 

辻さんの文章は、文章自体が取り立ててうまいわけではないし、第一、言い回しや構成からも他者の手が少なからず入った文章であろう。

だけど、「この人本当のことしか言ってない」という実感がまっすぐに感じられてぞくぞくする。

それは、辻さんの作品や、ドキュメンタリー映像などから辻さんという方に感じてきた「人としての気迫」に齟齬なくつながっている。

 

自分を大きく見せることも、へりくだることも全然しない。

他人の視線や評価や思惑なんてものに一切惑わされず、自分の心をぐっと見つめる心の旅のような文章にしびれた。 

 

身を呈して、ほんとうのことを書いていく。

その人にとっての真実を、誠実に書く。

リーダブルであることや、文章の持つトーンはその次のことである。

 

そういうことなんだな、と思う。とてもいいことや役に立つことが素敵に柔らかくやさしく書いてあってもなんか読み切れない文章や、ごつごつしてても、時に日本語が破綻していてもなんか読み切ってしまう文章の違いとは。

 

全然別ジャンルの人かつ雲の上の辻さんが、文章にとって一番大切なことも教えてくえた、という気持ち。