続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今年の思い(#MeToo、セッション-22など)

あと数時間で今年もおしまいかー。

 

 

今年ブログに書いたものをぱらぱらと振り返ってみる。

仕事でも目一杯文章を書きつつ、まだブログでこんだけ書いているのか、俺!?と思うと、なんかもっと適切に発露されるよりよい方法があるのではないかという空恐ろしい気持ちにかられる。

もっとも、もっともっと書いている人は世の中星の数ほどいる。

 

 しかし、ただ書いてるだけで私はまずまず満足なのだから、それで良いのかな。

 

 

総括ってんでもないけれど、年の瀬に思うこと。

ただ小さな世界で生きてきて、今年もさまざまな気づきがあった。

特に社会における弱い、差別される側の視点からものごとを見ることが増えたと思う。

 

そのきっかけのひとつは、#Me Tooだったと思う。

#Me Tooは、全ての差別と偏見をまたひとつ深く考える上で大きな出来事だった。

 

サルマ・ハエックをはじめとした多くのハリウッド女優たち、はあちゅうさん、ノーベル平和賞を受賞したナーディーヤ・ムラードさんなど、今年声を上げた性犯罪の被害者(男性も)は、数えきれないほど。私はアラーキーから長年被害に遭っていた女性のことを書いた。

 

多くの大変な目に遭って苦しんで来た犠牲者の言葉や、またそこから力強く立ち上がる美しい人たちの姿に、

これまで自分が甘んじて受け入れ、内面化していたものに気付かされ、正面からNOを言うことの大切さを教えてもらったと思う。

 

人には、外から見ているだけでは計り知れない色々なことがあるのだ。

それらは到底まるごとは理解しえないものだし、人が人と関わることは、いつだって人を傷つけてしまう可能性をはらんでいる。

 

それらを心に留めて、思いやりの気持ちを持ちつつも、言うべきことをちゃんと言う人生にしていきたいと思った。

よく見、知り、考えることで、自分の中のさまざまな思い込みや、あきらめの気持ちを外し、自分の思いを正直に表明し、心が求めるように素直に行動していきたい。

 

 

とりわけ伊藤詩織さんの存在と、彼女の身の上に起こった顛末は忘れがたい。

彼女の発言や、インタビュー、著作を読み、犯罪は誰の目にも明らかであるのに、犯人の山口敬之が首相に近い人物という理由で、罪にも問われず、国内でほとんど報道もされないという事実、さらには彼女が誹謗中傷を受け、日本に住むことができず現在ではロンドンに移住しているということ。

この事実が証明しているいくつものことを考えると、本当に暗澹とした気持ちになる。

政治・警察・司法・メディアが腐敗して、機能不全を起こしている、女性が安心して暮らせない国だという事実。のみならず、このような被害に遭った人を痛めつけ、物理的に排除するほどに、今、この国の少なからぬ人々の心が病み、荒んでいるという厳しい現実。

 

しかし同時に、彼女が本当に賢く勇気ある素晴らしい女性だったことで多くを学んだ。

 

今年は、テレビのニュース番組はもう見る価値がないな、とはっきりと見切った1年になったが、TBSラジオの「セッション-22」をラジオクラウドで聴くようになった。

何を取り上げるべきかの取捨選択、荻上チキさんの考察の深さや、トピックごとの識者の選定の適確さなどに信頼がおける番組。

この番組を聴いていると、テレビニュースの浅さってすさまじいな、と思う。コメンテーターのペラペラ感・・・。ラジオと違い、テレビには映像という武器があるのに、どうでもいいと思うくらいにレベルが違う。

 

伊藤さんが出演した回の音声データは、聴くのも辛いが、本当に貴重な内容なので、多くの人が聴くべきと思う。

これだけのことが明らかになっていて裁かれないってどういうことだと誰もが思うだろう。

 

 

最近、台湾のレインボープライド(LGBTの祭典)をチキさんと伊藤さんが共に取材したニュースも良かった。

黙殺でも、腫れ物でもなく、ジャーナリストの仲間として一緒に仕事をすることを選ぶ姿勢が素敵と思う。

 

セッション-22では、他にも日々聴きごたえのあるニュースが数多くアーカイブされています。無料登録すれば、全部無料で聴けます。

https://radiocloud.jp/archive/ss954/

 

 

そして、今年の強い印象のひとつは、開いた口がふさがらぬような、なりふり構わぬ格好悪い大人が跋扈した一年だったということ。

政治やビジネスや教育や医療やスポーツといった多くの分野で、恥ずかしい大人が、恥ずかしいという自覚もさしてなく、ふんぞり返っていたなあと思う。

そして、権力がいろいろなものを公然とごり押ししていった。取り繕うことさえ面倒といった傲慢な風情で。

 

けれど、これだけはっきりと恥ずかしい人たちの姿を見せつけられたからこそ、自分の身の振り方も定まるというものだ。

うちの子供2人に対して恥ずかしい大人ではないように。とりわけそのことを何度も思った一年になった。

 

来年も、基本楽しく無理なくやりたいことをやって、同時にあやうい世の中だからこそ、よく学び、見聞き知り、日頃からお腹にうりゃっと小さく気合いを入れて、地味に臨戦態勢で臨んでいきたい。