続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ボヘミアン・ラプソディー」再考

朝、ゴミ捨て場の片付けに行くと、きりりと空気が冷たい。

気持ちの優しいクリスチャンのお隣さんと雑談しながら、ネットを畳み、ほうきで軽く掃いてゴミ捨て場を元通りにする。

 

お隣さんが息子が学校に行く時に、偶然顔を合わせたので「インフルエンザに気をつけてね!」と声をかけてくれたと聞いて、嬉しい。

片付けとか、声かけとか、日常のほんのささいなことを面倒くさがらずにやっていくということが、意外なほど人の心をしゃんとさせるものだ。

 

家事を難しく義務的に捉える必要は全然なく、自分なりの無理ない範囲でやればよく、完成度はどうでもいいが、

基本的心情として暮らしを暮らすことを軽んじないようにしたいと思う。

仕事なんて、生活者としての自分より、明らかに下にあることでいいのだ。

 

もっと家事に精を出したいな。これから年末に一気に向かうから、こざっぱりと年越しを迎えたいから、毎日ちょこっとずつ余計に掃除していこう。

 

 

今朝、ツイッターでシェアされていた「ボヘミアンラプソディ」の素晴らしいレビューを読んだ。匿名の方が熱い思いで書いていた、結構なボリュームの文章だ。

 

カメラワーク、ダイアローグ、そしてSE(音響効果)にも考察が及び、それらが少しもトリビア的ではなく、感動を生むための必要充分なアプローチであることを分かりやすく論じていた。

テクニカルなことに終始するのではなく、「この映画が私に与えてくれたもの」を、真摯に大きく表現した部分が何より、素晴らしかった。ひとりよがりの暴走ではなく、希望に満ちた説得力がある。

 

「ドラマ部分はさらっとしていてちょっと物足りなかった」なんてよう書いたもんだな自分、と恥じ入ったし、こういうのを読むと、私なんかが映画のことを書いてお金をいただいていていいのだろうか、としょっちゅう思ってしまう。

 

指摘されていたシーンは自分も映画を見ながら感覚的にはキャッチして、(良い意味での)引っかかりを感じていた箇所ばかりであった。

が、自分がただ浴びるように見て、そのまま味わうに任せてちゃんと意識化できていなかったところに改めて気付かせてくれた。

こういうものを読むと、感動がまたひとつ深まるのだよなあ。

 

 

「別に何だっていいんだよー」とだんなさんが言う。

 

観る人の条件は、一人ひとり全部違う。

ストレートかゲイかでも当然違うわけだし、人種や病や家族や見た目や才能すべて皆違って、それによって受け止め方が違うのは当然だから。

 

作り手の表現に深く寄り添って感動できる人もいれば、

クイーンって誰?フレディめっちゃ歌うめぇ〜!だけでも全然素晴らしいのだ。

すごい映画ほど、どんなゾーンでどのように受け止めても、それぞれに素晴らしいのだ。

 

ただ、どんな人がどのように見たとしてもはっきりしていることがひとつだけある。

それは、「フレディ・マーキュリーは、自分の人生を潔くまっとうした」ということ。

 

それでいいんじゃない?と。

その揺るがぬ事実だけは、観る人全てが共有できることで、そこに皆が涙したんだと思うと、なんだ改めて泣けるものがあった。