続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

怒りについて考える ③傍観について

私、時々ここでこーいうことを吐き出すみたいに書きますけど、普段ほとんど友だちとはそういう話をしません。家族では普通にするけれど。

たまに話の流れで政治の話が持ち上がると、「どうしてあんな悪い人がいるんだろうね!」とか、わりに普通に言っちゃうんですが、すごく気まずそうにされる、地雷踏んじゃった感が半端ない。さらに突っ込んで語るようなことにはまずならない。

注意深ーく、あくまでニュートラルで平和な感じで、その話はすみやかに打ち止めとなります。

 

それはそれで正しい振る舞いだと思っています。離婚してシングルマザーだった友だち、大事な友だちだったのですが、彼女が再婚しただんなさんがかなり右翼的な考えの持ち主で。結婚したらパートナーの思想を全否定しては共同生活もできないから、彼女のだんなさんのみならず、彼女ともだんだん話が合わなくなってしまって。今はもう連絡も取らなくなってしまった。しょうがないし、潮時だったねと思うけれど、別の分野では全然違う考えを持っていても仲良くできている友だちもいるから、政治的な考えについてはそうはなりにくいこと、残念だとは思う。

 

でも、本当に難しいけれど、基本的な心構えとして、自分を隠して波風立てないように、有利な方につくように、っていう弱くてずるい心とは闘おうぜ、と思っている。

それは大きなことではなくって、「弱っている人をひとりぼっちにしない」っていうことだ。

大きな流れに乗っかるってことなら、誰でも簡単にできる。強いもの、イケてる人、一緒にいるとメリットがありそうな人に人は集う。

 

学生時代、いじめられた経験が大きいのだけど、そういう人々とは常に逆を行くというのが自分の基本の振る舞いになっており、寂しくなるパターンは多いが、後悔することはほとんどないような気がする。集団が怖くて嫌いすぎて、融通の利かない偏屈ゾーンにも足を踏み入れがちなのだけど、おばちゃんになってだんだんと学んできた。そこは年をとった善き側面のひとつ。

 

 

昨年の小学校の授業参観(5年生)でのこと。おっちんがいつも元気で無邪気なだいきくんの話をした。

「社会の授業中に、だいきくんが『安倍首相ってさあ、悪いよねー!』って言ったら、サーーーッって教室の空気が固まったんだ。先生も、親たちも、いっせいにしーんとしてすごい変なふんいきだった」

 

なんだか目に浮かぶような風景で、うわーこの国もやばいゾーンにどんどん入って来てるぞ、怖いなあ、とそれを聞いて思ったのだが、だんなさんはすかさず

「それでおっちんは?」

「おっちんもそう思ったけど、だまってたー。だって空気がすごかったから」

まあ当然そうなるよねえ、と私は思ったのだけど、

「だいきくんをひとりぼっちにしたらだめじゃんかー」

とだんなさんはさっぱりと言って、はっとさせられた。

 

自分が何かを表明して孤立したりこうむるのはいいんだけど、自分がいじめられっこだっただけに、子供がいじめられることには敏感で、だから子供には波風立てないことを無意識にしっかり要求しちゃってるんだわ、という自分のずるさと弱さに気付く。ターゲットになってほしくないと思っちゃっている。

 

だから、言行一致のだんなさんは偉いなあと思ったし、子供がどういう選択をするのであれ、親として、ひとりの人として、そういう裏表のない一貫した態度でいることが信頼の基本だと思った。

 

 

仕事相手など、誰も彼もに「私はこういう人間です」なんて言って回る必要はもちろんないけど、肝心なところで黙っていることは、誰に対してもしちゃいけないことと思っている。

人生、「サヨナラCOLOR」なのだ。