続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

トークイベント「小さな場所からはじめよう」

夜中からしとしとと雨。

朝、起き抜け早々掃き出し窓を開けて、身が縮むような冷たい空気の中に手を差し出して雨が降っているかを確認した。目では見えないが、ミストのような雨が降っている。

 

よっしゃと小さく心の中でガッツポーズ。この極寒の中、今日は畑に行かなくてもいいのね〜。畑好きだけれど、学校が台風でお休みになるのと同じ感じで、お休みはやっぱり嬉しいな。今日はこもってのんびり、ぬくぬくしよう。

 

金曜日の夜はだんなさんと大船にあるセレクト書店、ポルベニール・ブックストアのトークイベントへ行って来た。

子供たちに大量のカレーを作り置いて、久々にふたりで夜おでかけした。

 

「小さな場所からはじめよう」をテーマにした、奈良県東吉野村で自宅を図書館として解放している青木真兵さんと、神奈川県真鶴でゲストハウスとひとり出版社を営む川口瞬さんの対談。いずれも三十代半ばで、都会暮らしから田舎に移住したという共通点を持つおふたり。

それぞれ最近上梓した著書をベースに、主に自分たちの生き方や考え方を紹介されていた。

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川口さんのことは知らなかったけれど、青木さんのやっているインターネットラジオ「オムライスラヂオ」はポッドキャストで時々聴いていたので、活動や考え方はざっくり知っている、という感覚。

新しい視点をもらえるというよりは、うんうんやはりそうだよねえという共感を感じることが多い時間だった。

 

 

彼らは共に、今のマジョリティーの形成する社会の中では上手く息をすることができなくて、ある意味逃げ延びた人たち。

今の多くの40代以下の世代がそうであるように、彼らもかつては「生活の大半の時間を捧げて働いてやっとこ自転車操業の暮らし」に陥っていて、何のために働いているのかもだんだん分からなくなるし、体調も悪いし、将来に展望も設計図も描けないという現実に絶望しかけていた。

 

そんな中多くの人にとってそうであるように、9年前の東日本大震災がこれからの生き方を大きく変えるきっかけになった。

社会基盤の足元が大きく崩れ、価値観が揺らいで寄りかかれるものを失うと、普段は生活に追われて近視眼的になっている人も「そもそも」を考えざるを得ないところに追い込まれる。

 

その時に「大きなシステムの中にいる方がむしろ生存リスクが高い」という危機感から都会を離れる決断をし、情報に対しても「編集されすぎた情報しか入って来なくて状況がつかめない、本当のことが何も分からない」という危機感から独自のメディア(インターネットラジオ)を持つことにしたという青木さん。

 

大手IT企業に勤め、高層ビルの9Fで勤務中に地震に遭い、机の下に潜りながら「こんな所で死にたくない。ここでこんなふうには死にたくないという生き方をしているのはどうなんだろう」と目が覚めるように思い、会社を辞める決断をしたという川口さん。

 

彼らは、夢や理想を抱いて動いたのではなかった。

一見、移住や新しいライフスタイルへの移行を軽やかな口調で話すお二人だけれど、内実はそんなライトなものではない。

もっともらしい顔をして粛々と運用されている既存のシステムや社会ルールは、実は相当いい加減でご都合主義であり、お金と権力を持たない一般市民はいざという時は守られずあっさり切り捨てられるという身もふたもない現実を大災害を通して目の当たりにして、心から恐怖し、生命の危機を感じたからに他ならない。

 

だから、彼らのたたずまいからはバイタリティー溢れるマッチョさや押し出しの強さなどは感じられない。むしろ細身で女性的で優しげな人たちだ。

彼らはリスクをとって人生攻めてこうなってるんではなくて、既存の社会のあまりの暴力性に心身傷だらけになって避難してきた人たちなのだ。

 

しかしそれゆえ大きく出ないし、無理をしないし、ビジネスマインドな向上心とか金銭的成功とかじゃない。

弱く賢い者だからこその個人主義としぶとさが垣間見え、それらが彼らをサバイブさせているのだなと感じた。

 

会の後半の質疑応答では、移住の現実についての問いが多く発せられ、詰まるところ就労・経済の問題と地元の人たちとどう付き合うのか、といったものが多かった。

できれば私も移住したいけど・・・という心理のあらわれなんだろう。

 

互いの地元の消防団の話は、田舎のめんどくささを象徴しているようで面白かった。共に社会科見学のようなひいた目線で参加していると苦笑するように言っていた。

それでも参加しているということなのだから、田舎というか年輩者の同調圧力はそれなりに強いのだろうなとは思う。

 

彼らは賢い人なので、非合理的な社会の所与性や、マウンティングしたり押し付けたりしてくる人など、いろいろなものにうんざりして失望しているので、旧態依然としたものたちに対して積極的に理解しあうことはある程度諦めている部分もあった。

無理解や世代間ギャップについては、開き直って好きにやるという心持ちも必要だろうと思う。

 

こちらからはへりくだって無理に関わる気はないが、拒絶はしないというスタンス。

その辺りが現状の若い移住者の落としどころなのかもな、と感じた。

 

 

いずれにしても、この対話で得た大事な学びは、移住するしないに関わらず、「お金で全てをなんとかしようとする資本主義的生き方を追求することはもはや無理筋である」という認識をしっかり受け止めて、自分なりに満足して幸せに生きるためにはどうすればいいかを誰もが根本的に自分自身に問い直すべきなんだということ。

生涯賃金を多く稼いだ人の方が人として上等であるというような今の世の中の考えのおかしさに腹からしっかり気付くこと。

 

その上で気負わず身近でやれることはたくさんある。

別段大きく出ることはなく出来る範囲で「小さな場所をもつ」ことから始めればいい。月に1回でも、2回でも。

 

コツは、「暮らし」を大切にすること。

暮らしは、目的を持たないことが仕事と一番違う部分。

生活の大きな部分を割いて力を入れてやることは商売として経済的に成立しなくてはならないという思い込みは捨てて、お金中心の価値観以外で成立する場所を小さくとも自分なりに持ってみる。

 

目的やコンセプトなんて要らなくて、自分にとってなんだか楽しそうで楽チンそうな、息がしやすそうな方向へ向いて行く。

 

そしてもうひとつ大事な視点は「自然の中にある暮らし」。

都市は、人間が住むために人間都合で設計された場所で、田舎は自然の中に人間が住まわせてもらう、ベクトルが逆ということがある。その違いはすごく大きいんだと青木さんは語っていた。

 

私も願わくば、自然に囲まれて暮らしたいと常々思いながらも、そこはなかなか叶わない現状。家なぞ買わねば良かったと思っても今となっては仕方がないので、そこは何とか自分なりの落としどころを見つけるしかない。

 

 

早寝の人なので最後の方は眠くなってしまって困ったが、良い時間だった。

真鶴は辻堂からも近いので、真鶴出版には機会があればぜひ泊まりに行ってみたいね、と言い合いつつ帰途に着いた。

初めて訪れたポルベニールブックストアも良い場所だった。きょろきょろ本棚を見ていると読んでみたい本がたくさん。本ひとつひとつのデザインの良さが際立つような、それで色々読みたくなるような趣味良くシンプルなお店だった。また改めて訪れたい。

無敵の男

仕上げる自信のなかった原稿が無事に片づいて、どーっと安堵の疲れ。

時間を置いてもう一度見直してから納品しよう。

 

ここ数日だけでも、随分いろいろ書きたいことが溜まっていて、そっちをやっとこ書けるなあと思うと嬉しい。

生活に追われているうちに忘れてしまうことも多いんだけど。

そして、だんなさんは青山へ行ったし、優太はこの後ピアノ。わたしとおっちんは午後から「ジョジョ・ラビット」を見に行くことに。

結局多動で、腰が落ち着かないのだよな。

 

階下からはゆうたのピアノの音がずーーっと聴こえている。このところ、家にいる間はずっとだ。

後は学校で習っているオペラを歌う。訳の分からんイタリア語で朗々と歌っている。

「うっるさーーい!」としょっちゅうみんなに怒られているが、あんまり意に介さない。

歌っているとすごく機嫌の良い人みたいなので、楽しそうでいいねと安心はするのだが、実にうるさい。

 

彼の専門はクラリネットだが「ピアノは押せばきれいな音が鳴ってくれる。クラリネットほど良い音を出すことに苦労しなくっていい」と言ってこのところもっぱらピアノがお気に入り。

好みもだんだんと変わっていて、以前はチャイコフスキーブラームスのような大仰なものが好きだったのが、最近はモーツァルトが一番好きと言っている。確かにゆうたに合ってる気はする・・・。

 

こぼさない、汚さない、忘れない、片付けるなど、生活の基本のことがかなり不得手なゆうたは、自分の好きなことしかしないし、好きなものしか見聞きしない、興味を示さない。

一緒に暮らしていると結構腹の立つことが多く、基本怒られ人生なんだけど、私の好きな人生の達人たちが「人生かくあるべき」を語った時、それゆうたじゃん、すでにやってるやん、と思い当たってはっとさせられることが多い。

 

誰かに合わせることもなく、誰かと比較することもなく、プライドもあんまりなく、欲しいものややりたいことに臆さず自意識のブレーキもなく。

下手でも勝てなくても別にいいのだし、誰にどう思われるかもあんまり気にしてないという点である意味無敵だ。

 

そういう感じだから、結果、誰かのせいにすることも、被害者意識をもつことも、不機嫌になることも、疲れることも、腹が立つことも、当然少なくなるわけで。

 

もちろん女の子にモテたいなと思い始めたり、彼なりの悩みもあるんだろうけれど、基本、おおむね機嫌良く満足そうだ。

彼を見ていると「やりたいことをやっていたい」だけにこんなに欲なく迷いなく集中し続けられるものなのか、となんだか呆れるというかうらやましいというか。

 

そんな風に改めてゆうたのことを眺めると、そのために日頃こうむっていることも、いつもぎゃんぎゃん怒っていることもつい忘れて「まあ良かったよね、自分もかくありたいね」と、ついにっこりしてしまう。