続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

生後145日(4m/23d)

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ぐっと冷え込んだり、急に暖かくなったり、風がびゅうびゅう吹いたり、天気に振り回されるこの頃。

 赤ん坊の体温調節が難しく、時々少し鼻水が出ている。暑がりなので余分に着せるとひどくむずがるが、薄着だとふとした時に触った手足がきんきんに冷たくなっていたりしてひやりとする。

機嫌もそうだし、いつでも赤ん坊の様子を観察する暮らし。まだ意思を伝えられないから、表情や身体の動きや状態などを五感で感じながら試行錯誤するの繰り返し。目に見える作業量は少ないのだが、心をすごく使っているという感覚がある。毎晩「今日もやりきった」という感じで眠りについている気がする。

 

赤ん坊は、判断が間違えば身をのけぞらせて泣くし、合っていればやっと分かったか、と言わんばかりに「ふー!」と言う。すごく分かりやすく反応するから、単純に面白いし、「察する」というような受け身のコミュニケーションが元来苦手な人間なので、毎日鍛えられるなあと思う。

中2の娘、おっちんもどんどん子育てスキルをあげてきている。自分のやり方をゴリ押ししようとしても抵抗が大きすぎて効率があまりにも悪いから、観念して委ねる、よく観察するということがみるみる身についてきている。

学校の勉強はしてないが、これも立派な成長だなあと見ていて感じる。

 

私自身は、年齢を重ねて欲が減っているから、以前の子育ての時よりも自分がどうしたい、を脇に置くことがずっと容易になっている。落ち着いた構えで赤ん坊に向き合えて、赤ん坊がいることを楽しみ、心地よさそうにしているさまを見ていると、自分も深く満たされる感覚がある。

若い時の子育てでは、赤ん坊の不規則的な睡眠に振り回されて、自分のしたいことが何もできないと感じていて、なんとか自分のやり方でねじ込もうとしていた。

今よりもだいぶいらいらしていたなあと思う。もちろん今もいらいらすることはあるけれど、随分少ない気がする。

 

最近の赤ん坊は日々存在の輪郭がくっきりとしてくるなあという感じだ。

全身の筋肉が鍛わってきて、うつ伏せでしっかり顔を高くあげてきょろきょろと周囲を観察している。

おもちゃに興味を示すようになってきた。いろんなものに触ろうとし、口に入れようとする。歯ぐきでがじがじと噛む。

指先の力が強くなっただけでなく、腕を大きく上下に動かせるようになったので、お風呂に入れると水の表面をぱしゃんぱしゃんと叩いている。

身の回りのものを一つ一つ検分している。世界への冒険が始まったんだなあと思う。

 

 天井の梁から吊るす赤ちゃん用の運動器具(baby jumper)がお気に入りで、これのおかげで下半身が相当鍛えられて足の力は強い。けれど上半身はそれほどでもないから、はいはいで腕を前に出して体を支えることがまだできない。

結局肘立て伏せのような格好で下半身をぴーんと浮かせて突っ張らせて、ウンウン唸ったまま動けず、しまいには泣き出す。

 

用意している落下防止用の柵や、歩行器の出番ももう間近。本当に目まぐるしくステージが変わっていく。あまりの早さに毎日驚きっぱなしだし、生命力の強さにはおののくほど。子供って、なんて勢いよく育っていくことだろう。

 

本格的に動き出す前に一度リビングを大掃除して、いつも綿埃の床をきれいに掃除しなくちゃだ。

政治が無能すぎる件

4時頃から赤ん坊が1時間ほどもジタバタあんまり元気に体を動かしているので、もう眠るのを諦めたらこてんと寝てしまった。

今日はゆうたは学校休むと言っているのでお弁当もなし。まだ夜明け前にぽかんと一人起きている。

 

夜中の授乳でひどく喉が乾くので、いつも温かいほうじ茶かびわ茶をサーモスの保温筒いっぱいに作って寝室に持ち込んでいる。明け方の今も十分温かくて、口に含むと体がふわっとほぐれる。美味しいなあ。赤ん坊の気配とだんなさんの寝息だけが聞こえるひとりの時間が嬉しいなあ。

 

今、一都三県は緊急事態中らしいのだが、街中には一向にその気配はない。政治が全くリーダーシップを発揮できておらず、誰も基準を把握していないので、各々ばらばらな行動を取っているように見える。

 

この先どうなるか、本当に分からない。唯一分かっていることは、今後どれだけ状況が悪化しようとも、国は補償や責任を回避し続けるだろうということ。

「丁重にお願い」をし人々に倫理を要求し続け、今ある人々の困窮や医療崩壊から目をそむけ、「お願い」に従わなかった、従えなかった人々の側に責任があるという空気を醸成することを目論んでいくだろう。

 

先日の首相の会見を少しだけ見たが、政府が全く腹を括っていないことは一見して分かったし、陰気に原稿を読み上げているさまとあのどんよりと濁った目を見ていると、とても気分が悪くなり、すぐにスイッチオフしてしまった。

私は今の首相はなんか正視できない。間違ってそこにいるという感じがずっと拭えない。なんだか見てはいけないものを見ているような気持ちにさせられる人だ。

それでなくても、前政権の時から記者会見は見てもフラストレーションが溜まるだけみたいなことになっている。あの形式めいた欺瞞に満ちた醜い場の雰囲気は一体なんなんだろうとすごくびっくりする。

 

市井にはまともな人だっていっぱいいるのに、どうして為政者はよりによってあんなひどすぎる人ばっかりになってしまうんだろう?

あるいは為政者になる過程で人は避けがたくしょうもなく、下品になっていってしまうということなのだろうか。多分それなりの「当然の成り行き」があってこうなっているんだろうけれど、仕上がった結果だけ見せられると、素朴にシュールなことになっていて、頭がくらくらする。

 

今の首相を象徴する言葉として挙げられる「自助」という言葉。

その言葉は「自己責任」を良さげに言い換えているだけで、意味することは全く同じだ。

国民から税金を集めて、それを国全体の幸福のために正しく再分配するのが政治家のもっとも重要な仕事であるのに、彼が首相としてはじめに言った言葉が「国に頼らずまずは自分で何とかしろ、でなければ自分たちで何とかしろ」であるという時点で、政府の役割を放棄しているのだから、はっきりと資格がない人だと私は思う。

 

前、現首相をはじめとした今の与党「大物政治家」と言われる人々を見ていると、税金は権力を握った人間が好きに使っていいお金だと履き違えていることがその言動の端々から伝わってくる。

税金を何に使ったか説明する必要もないし、自分たちの権力維持のために利権に税金を使うことも、当然の権利のように思っているように見える。

この国にいろんな人がいて、いろんな人生があり、大部分の人はそれぞれ大変な思いをして納税の義務をまっとうして暮らしているということに対する想像力や、政治をする上での基本的な教養が圧倒的に欠落しており、それを恥じることもなく、逆に偉そうにしている。見ている方が恥ずかしく、身が縮む。

 

仮定の質問には答えられない、と彼は繰り返す。

だが、オリンピックという「いまだ全く見通しの立たっていない一番仮定のこと」に関しては、絶対にやりますと何度も言い切る。

これだけ国民が困窮しているのにどれだけ予算が追加でかさんで1兆6千億円以上の税金がかかることになっても、利権のお祭りをやることだけはどうしても諦めない。

それがこの国の為政者にとっての最優先なんだな、と思う。

 

自らは欲にまみれた吝嗇さを晒しながら、同時に正論ぶって経済を選ぶか、それとも命を選ぶか、そんなぎりぎりの選択に人々を追い込んでいるのが今の政府だ。

その狡さに本当に腹が立つ。命のことも経済のことも、もちろんみんなで考えなければいけないことだけれど、政治が先頭に立ってその命題を抱え、最優先で取り組まなければいけないはず。けして人々に責任転嫁していいことではない。

そして、命か経済かではなく、どちらも大事にしながらなんとかその中間を見出していくのが政治の仕事で、そのために税金はある。オリンピックのためにではなく。

 

ストレスで身がもたないので、普段から政治のことばかり考えてはいられないけど、前を向くためにも今の思いを一旦吐き出しておく。

ああ、心底税金を払いたくない。生きてるだけで自動的に吸い取られてしまうのだけど。

 

とにかく、自分たちでなんとかサバイブしていくしかない。

とりあえず家族は皆なんとか元気だし、赤ん坊もすくすくと健康に育っていることに感謝して。

 

朝が来た。今日もできることをやっていこう。できるだけ優しく、朗らかに。